『LIAR』が魅せるバブル期の東京の夜空 なぜ、ファンは中森明菜の歌に感情移入できるのか?
「アーバン歌謡」がここに確立
注目したいのは、「Ah 霧のように」のコード(=【Fmaj7】)。ポーンと時空に投げ出されるような響きがする。投げ出される時空とは、「霧のように 行方も残さず 貴方が消え」た場所、つまり平成元年、バブルの真っ盛りで夜も眠らない24時間都市=東京の夜空の中だ。 そして東京の象徴としての名詞「ビル」が登場してから、歌詞も急旋回。「いかにもな歌謡曲的な女」が「アーバンな女性」に変わっていく。「もう貴方だけに 縛られないわ 蒼ざめた孤独選んでも」、そして「次の朝は一人目覚める それが自由なのね」。そう、これらの音楽的展開は、ここまで本書でくどくどと述べてきた「アーバン性」、そして「歌謡曲性」をも手繰り寄せた。 元々は『SOLITUDE』で提示された「アーバン性」が、「歌謡曲性」もしっかりと吸収した結果として、「アーバン歌謡」がここに確立した。そしてそれは「歌う兼高かおる」「歌謡曲の王道」「チャレンジ」が総決算した結果でもある。 中森明菜が東京の夜に降り立った『SOLITUDE』からの長い旅がここに完結する。「SOLITUDE」=「積極的な孤独」から行き着いたのは、「自由」だったのか、もしくは「悪い夢」だったのか。その判断は、読者に委ねたい。
スージー鈴木(音楽評論家)