「自分は何者」そこまで考える必要ない?虐待、いじめ、リスカ傷痕も大切な一部 「死んではダメ」手差し伸べた恩人のため「もう一度働きたい」
「障害者だから特別な配慮をしない」「障害を言い訳にしている」。Yさんに話を聞く限り、確かに会社で心もとない言葉を受けている印象を受けた。しかし、これだけで明らかにパワハラがあったと決めつけることはできない。Yさんへのさらなる取材と、ダイハツ側への接触を進めることにした。 Yさんに何度も会い、やりとりを重ねる中で、ジェンダーや国籍の面で「マイノリティー」として生き、さらに親からの虐待や周囲からいじめを受けてきた経験を聞けた。容易に想像できないほど「壮絶」な人生だと思った。 「性的マイノリティー」や「いじめ」といった一つ一つの要素に目を向けることはあったものの、これらを複合的に抱える人の存在を考えたことはなかった。Yさんの精神障害の背景には、生い立ちやアイデンティティ、家庭環境などが複雑に絡み合っており、「自分は何者なのか」と思い悩んでいた。 ダイハツはYさんが訴えているようなパワハラはなかったとコメントした。それ以外の詳細について回答しないため、実態はどうだったのかは未だ明らかにできていない。しかし、もし上司がYさんの特性の背景にあるものを知ったり想像したりしていれば、Yさんは今もダイハツで生き生きと活躍していたかもしれないと思った。
本人でも「何者か」と思い悩むほど多くの要素を複合的に抱え、それが原因で苦しんでいる人がいる。社会もそのような人の存在になかなか気づけない現状がある。無意識のうちに知っているワードで、「この人はこんな人」と固定観念で決めつけて見ているのではないか。いま一度想像力を働かせる努力を惜しまずに生活したいと気付かされた取材だった。