「3歳の長男が白血病に」キャリアが断絶された母親の奮闘「病気が治る未来を信じ」挑んだ起業の道
── 息子さんの病気がわかって、夫婦の関係性は変わりましたか? 市原さん:私は毎日ベッドの中でこっそり泣いている時期もあったのですが、夫はとにかく冷静でした。でも、普通に生活をしていたら読まないような医学論文を読み始めたんですよね。主治医もびっくりして、「この親にはちゃんと話さなきゃいけないぞ」と思ってくれている感じでした。夫は自分で正しい判断ができるようにしていたようです。「夫は私とは違うショックの受け方をしているんだな」と思いました。私とは表現の方法は違いますが、夫なりの方法で子どもと病気と向き合っていたのだと思います。
── 旦那さんなりに動かれていたんですね。 市原さん:それまではどうしても自分と夫を比べてしまい、「夫は結婚前から働き方がそんなに変わらない」「私のほうが家事や育児をやっている」「私ばっかり」と、夫に対してネガティブな感情が渦巻いていました。育児で目いっぱい働けないことで、会社でも思ったように評価されない、というもどかしさを引きずっていたのかもしれません。でも、私が泊まり込みで看病をするいっぽうで、夫も状況を受け止めて行動している姿を見て、初めて夫を戦友だと思えました。それはすごくよかったですね。
■時間を切り売りするより、自分がやりたい仕事に挑戦したい ── 息子さんを看病するなかで、起業をしようと考えたきっかけを教えてください。 市原さん:当時は長男が治るという選択肢以外はつらすぎて考えられませんでした。なので、治った後は仕事をしようとポジティブに考えるようにしていたんです。「きっと治るから大丈夫」と。長男の病気は3回繰り返してしまうのですが、1回目の再発をして治った後にフリーランスで少し仕事をしました。フリーランスでできることをする。でも、その働き方だとどうしても自分が今まで得てきたスキルを細切れにしてなんとかいでいるような感覚がありました。前に進めなさそうだなと。そんな時に、東日本大震災が起きて、働いていた職場でビルが激しく揺れました。「もう子どもたちと会えないかもしれない」という考えが頭をよぎりました。仕事に生きるのであれば、付加価値を積み上げられるような仕事に挑戦したいと思ったんです。