「3歳の長男が白血病に」キャリアが断絶された母親の奮闘「病気が治る未来を信じ」挑んだ起業の道
── どうされたのでしょうか。 市原さん:小学校6年生になっていた長男から、「毎日病院に来られて、ずっとそばにはりつかれていても困る」と言われたんです。それは本音でもあるし、彼の優しさでもあったと思います。そして、「もちろん、仕事は続けなよ!」と言ってくれました。長男のひと言が働き続けることを決意させてくれたのです。それからも働くなかで生活は長男を最優先しました。でもその頃には、病院に通いながら仕事を続けられる体制や環境も整っていました。看病をしながら働く中で、長男は3度目の再発を乗り越え、白血病は寛解に至りました。今では長男は大学生に、次男は高校生になり、ふたりとも元気に過ごしています。
■3年間働いて返せる金銭的リスクならよし ── 起業をしたときに、大変なことはありましたか? 市原さん:最初は、少額の、夫からの投資と私の貯金で事業を始めました。お金が出ていくいっぽうで、プレッシャーも感じましたが、意外にも悲壮感はありませんでした。私は挑戦するときに、2つの考え方を持つようにしています。1つ目は、自分がとりうる最大のリスクを考え、その範囲の中であれば、損や失敗をしても大丈夫と考えることです。2つ目は、そのうえで楽観的な考えで挑戦することです。わらしべ長者的なラッキーを引き寄せられるだろうと。このことで、焦ることはあっても絶望することはありませんでした。「まだ想定するリスクの範囲内だから大丈夫」とよく言っていました(笑)。そうしているうちに、いくつかのご縁がつながり、投資を受けて事業が動き始めました。
── とりうる範囲の中のリスクはどのように設定されていたのでしょうか。 市原さん:私が3年間働いて、返せるくらいの金銭的リスクだったらよしと考えていました。それくらいであれば、無収入で借金を返す人生でも家族は許してくれるかなと。最初はそういう気持ちでやっていました。 ── 働きながら子育てをするなかで大事にしてきたことはありますか? 市原さん:第六感だけはあけておくことです。子どもたちの異変に気づけないほど、仕事に冒頭したり、自分のメンタルが病んだりするほど仕事をしてはいけないと思っています。「いつもとちょっと違うな」「病気が治らない」「今日は話したそうだな」とか、そういう直感的なサインに気づける心の余裕は残しておこうと思いました。