「3歳の長男が白血病に」キャリアが断絶された母親の奮闘「病気が治る未来を信じ」挑んだ起業の道
── ベンチャー企業だからこその対応ですね。 市原さん:アクセンチュアやルイ・ヴィトン ジャパンにいたときは、会社の看板を背負っていたので、女性であることが不利だと感じることはありませんでした。でも、ベンチャー企業では「女の子」扱いされることが増えたんです。取引先に男性が多かったこともあり、「社長のアシスタントでしょ?」と名刺交換すらしてもらえないこともありました。仕事と育児の板挟みにあいながら、女性が働くうえでの問題の大きさをより感じました。毎日心が折れそうになっていたように思います。そんな中、当時3歳だった長男が白血病だとわかったんです。
■「これは、仕事を辞めるってことだな」 ── 息子さんの病気がわかった時は、どのような状況だったのでしょうか。 市原さん:最初は微熱が続く状態でした。熱が少し出ては下がり、また微熱が出てという状態が1か月ほど続いていたんです。顔色が悪くなってきて、いよいよおかしいと思い採血をしてもらったところ、白血病と判明しました。まったく予想していなかったので、その時は本当に衝撃的でとてもショックを受けました。 ── 予兆などもなかったのですね。
市原さん:はい。病気を告げられた時にまず思ったのが、「これは、仕事を辞めるってことだな」でした。本来なら「息子の人生どうなるんだろう?」と考えるべきなのに、仕事のことを考えてしまったんです。「あの時なぜ、そんなことを考えてしまったのか…」と、当時の息子への罪悪感は今でもあります。でも、それくらい綱渡りの毎日で、仕事に追われて常に気持ちが張り詰めていたのだと思います。 ── そこから、どのように闘病生活に変わっていったのでしょうか。
市原さん:長男はすぐに入院となり、そこからは仕事を辞めて長男の治療に専念する日々が始まりました。「できることならこの子の体と変わってあげたい」と願い、つきっきりで看病をしました。1年間はほぼ病院に泊まり込む生活です。息子が4歳、次男は3歳になっていました。長男の看病をしつつ、家では次男が待っています。私の母が助けてくれたことと、夫が次男の子育てを積極的にしてくれたことが救いでした。ただ、母と夫がいても、どうしても次男には寂しい思いをさせてしまいます。次男といる時は、長男のことを考えずに100%次男のことだけを考え、密度の濃い時間を過ごすように意識していました。