「役作りは一生懸命やらない」と江口のりこが語る理由とは 「愛に乱暴」公開記念対談 吉田修一×江口のりこ
「役作り、私はそんなに一生懸命やらない」
吉田 僕は小説を書き上げるまで桃子という主人公が何をするのか分からなかった。物語の結末を決めていたのではなくて、桃子の背後にセットしたカメラで彼女を見ている感じで、最後の最後まで、桃子が○○で××したり、△△を□□するとは思いませんでした(笑)。江口さんはいかがでしたか。 江口 桃子が分かる分からないっていうより、興味があるかないかっていうことの方が私にとっては大切でした。桃子は私とは全然違う人ですからね。そこが面白かったのですけど。 吉田 では、役作りはどうされたんですか? 江口 役作り、私はそんなに一生懸命やらないかもしれません。絶対にやることといえば、100パーセント、いや、それ以上にせりふをちゃんと頭に入れること。それだけでいいんじゃないかと思ってるぐらいです。せりふが入っていないと、現場で監督から指示されても何もできなくなってしまうし、芝居やってて楽しくないんですよ。でも、完璧に入ってれば、監督の言う通りに動くことができて、それがすごく楽しいんです。現場に入る前に衣装合わせっていうのがあって、スタッフみんなでこの人はこういうもの着てるよね、バッグはこういうもの持ってるよねって話し合いながらキャラクターを作るのですが、それを終えた後は、せりふさえちゃんと入れておけば、現場でどうにでもなると思っています。
「自分以外の何者にもなれないもんって(笑)」
吉田 いろんなタイプの役者さんがいると思いますが、よく聞くのは、その人になりきる、その人を生きる、みたいな役者。それはそれで素晴らしいですが、江口さんにとってはせりふなんですね。何を喋るかって、人間そのものですから。演じる人間をせりふという言葉から取り込んでいるということですね。 江口 私は役を演じるけど、私はその人じゃないと思ってやっています。何者かになりたいけれども、自分以外の何者にもなれないもんって(笑)。だって、撮影が終わったら自分の家に帰るし、自分の布団で寝るし。でも、役になりきるとか、憑依することができたら、それはどんな感じなのか興味はあるんですよ。 吉田 妻夫木聡さんがそっちのタイプだと言っていました。『怒り』が映画化された時(16年)、撮影終わってすぐのタイミングで会ったのですが、まだ顔つきや話し方がその役のまんまだったんですよ。僕はびっくりしちゃって、妻夫木さん本人も「まだ役が抜けてないんですよー」って言っていたのに、2~3日後にまた会ったら、もう完全に別人で役が抜けてた(笑)。本当に目の色まで違うんですよ。 江口 いいな。どうしてんのかな、そういう人って。