発達障害の子どもに「rTMS療法」は不適切 診断バブルを医師が懸念
エビデンス重視の医療界における不思議
エビデンスが重視される医療の世界で、バイオマーカーがない発達障害の存在が広く認められているというのは、なんだか不思議な気がします。 斎藤:そうなのです。バイオマーカーがないにもかかわらず、器質的、先天的なものとされる「発達障害」が「存在する」という前提は、世界的にも確固として共有されている状況がある。医学においてもそうですが、心理学、教育学、社会学といった広範な領域において、発達障害の存在は、疑う余地のないものと捉えられています。 病気の概念には、異論のあるものが実はたくさんあります。例えば「慢性疲労症候群」や「線維筋痛症」はよく知られている病名ですが、これらの存在に関しては医学の世界でまだまだ異論反論があって、認めない人も少なからずいます。しかし、発達障害に関しては、そういった紛糾はありません。確固たる診断名として、みんなが受け入れている。そういった意味では、ある種、後戻りできない変化が起きていると思います。 なぜでしょうか。何らかの理由で必要性のある概念だったということなのでしょうか。 斎藤:特に教育の分野では必要性が高かったのかもしれません。特別支援教育にしても合理的配慮にしても、発達障害の生徒がいるという前提で、それに対応する準備をしておく必要があるということに、反論する人はいません。それはそれで非常にいいことだと私は思っています。 斎藤先生は、不登校やひきこもりの事例に治療的に関わっていらっしゃいます。そこに、発達障害がもたらした変化はありましたか。 斎藤:「不登校の生徒はすべて発達障害」という極論が出てきました。昔は、不登校に関して「行きたくても行けない葛藤」に注目するなど、もっと繊細な議論がたくさんなされていました。不登校の子は発達障害であると単純化してしまうと、一人ひとりの子どもが抱えている複雑な問題の背景に目が向かなくなってしまいやすい。「すべて脳のせい」となってしまいますから。 確かに不登校の理由のすべてが、発達障害というわけではありませんよね。 斎藤:不登校の中でも、発達障害のケースと、そうでないケースを鑑別し、それぞれにどういう配慮が必要かといったことをきめ細かく考えるべきだと思います。発達障害の登場で、不登校の子どもへの対応が粗雑になっているのではないかと、私は非常に危惧しています。 発達障害と不登校、ひきこもりについては、さらに詳しく伺いたいと思います。 (次回に続く)
黒坂 真由子