音声ガイド制作者が見た成田凌主演「雨の中の慾情」 さまざま不思議なことが起きる映画を出演者自身がナレーション
何が映っているのか、にこだわって描写する
本当はこれ以上に映像は出ているのですが、大変短い尺で切り替わっていくので、読み切れる範囲の情報にとどめてあります。さて、この冒頭を聞いた視覚障害モニターさんはどう感じたか?きいてみました。「全くワケは分からないけれど、なんか変な映画なのだろうなと思った」「全然ついていけてない。どうなるんだろう?と思った」というようなご意見でした。ご覧になった方、どうですか? 目が見えていても見えてなくても、おおむね同じような感じではないでしょうか? そして、期待通りと言いますか、次から次へと奇妙な人が登場してキテレツな展開をしていきます。 主人公の義男は、尾弥次(おやじ)という大家さんに頼まれて、引っ越しの手伝いに行った先で福子と出会うのですが、今でも福子がなぜ引っ越しという時に、あのような状態にあったのか不明ですが、とにかく私は見たままに説明をしました。冒頭の音声ガイドはこんな感じです。 (義男が)壁に目をやり、はがれかけのポスターの端をつまむ。 すぐに視線を戻して、ポスターをはがす。 ポスターの横にあった楕円(だえん)形の鏡に、ベッドが映っている。横たわった全裸の女性の背中。 ベッドのそばに膝をつく義男の後ろ姿も映る(A)。 女性の艶やかな色白の肌。 義男がポケットから出したもので、ポスターの裏に絵を描き始める。 時々視線をあげては、手を動かす。黒いチョークのようなコンテで描いている。 背中の輪郭を描き、目をあげる。手が止まる。
生まれつき視覚を使ったことがない人と映画を共有する役割
少し分かりにくいでしょうか。つまり、漫画家である義男は、部屋に入るなり、奥のベッドに全裸の女性が背中を向けて横たわっているのを見て(この時点では映像に女性は映っていない)、とっさに、描きたくなって紙を探すのですが、一秒たりとも目を離したくないという心境。なので、壁に貼られたポスターの端をつまむやいなや目を戻して、床にポスターの裏面を上にして置いて、ポケットからコンテという名前のチョークで絵を描き始めるということです。 「義男が描く姿」は鏡に映った後ろ姿を見せることで伝えています。音声ガイド「時々視線をあげては」というところでは、義男を正面から捉えた映像になっています。生まれつき視覚を使ったことがない人の中には、「鏡に映る」というようなことがよく分からないと言う方もいるかもしれません。ちなみに、今回のモニターさんにも1人、一度も視覚を使って何かを見た経験はない、という方がいましたが、彼は問題なくついてきてくれていました。映画製作は視覚を使う人の文化と言える部分が大きいです。私としては、音声ガイドがそういった目が見える人独特の行いを、生まれつき見たことない人と共有する役割を果たす可能性があると思っています。そういったことも含めて、なるべく映像に忠実に描写することを心掛けています。 たとえば、(A)の部分を、「ベッドのそばに、義男が膝をつく。」と書いても、起きている現象としては間違いないのですが、見えてくる映像が違うと思うんですね。このガイドだと、映像には義男の顔が映っているとイメージされてしまうと思うのです。さらに、この作品ではところどころで、鏡を使って私たちに見せてくるということがあるので、鏡の描写はやはり外せないと思います。なぜ、こういう撮り方をしたのかまでは聞けていませんが、「映画とは何が映っているかだ!」派としては、できうる限り、映像に忠実に描写をしてしまうのです。