安井友梨が2015年ビキニ初国際大会から挑戦し続けた理由 「私が挑み続けたことで『日本』と『世界』をつなぐことができたのかもしれない」
安井友梨選手がビキニフィットネスでデビューした2015年当時、日本人選手が世界大会で勝つなんて夢物語で、今世紀中に優勝することなど不可能だと思われていた。しかし、昨年は安井選手がフィットモデルで国際大会を制し、今年は長瀬陽子選手、本田有希子選手らが優勝。日本人選手が世界で活躍を見せるようになってきた。特別インタビュー後編では、パイオニアとしてのここまでの道のり、そして目前に迫った「IFBB 世界フィットネス選手権」への意気込みを聞いた。 【写真】秘蔵写真!2015年世界フィットネス選手権の安井友梨選手
――今年10月にはアーノルドクラシックヨーロッパのビキニ・マスターズクラスで長瀬陽子選手が、世界フィットモデル選手権の160㎝級では本田有希子選手が優勝を果たしました。日本の選手が世界で活躍するようになってきました。 安井 私がデビューした10年前から考えると、今年は日本人選手のレベルがすごく上がったことを感じた1年でした。ただ、長瀬選手、本田選手が優勝した姿を目の当たりにして、本当は自分が優勝したかったと、複雑な気持ちがよぎりました。本音を言うと、めちゃくちゃ悔しいです。 ――アスリートとしては健全な感情だと思います。 安井 その事実を受け入れるのには、かなりの時間がかかりました。でも、もう私じゃなくてもいいんじゃないかと、そう思えるようにもなってきました。これまでは、日本で優勝させていただいている私が世界で優勝しないといけないというプレッシャーを自分自身に与えながら取り組んでいました。ですが、長瀬選手も本田選手も、写真や映像で私のことを知って、それをきっかけに競技を始められた選手なんです。そうした後輩に当たる選手たちが今回このような結果を出してくれたのは、本当にうれしく思います。 ――安井選手は、日本連盟が国際大会に派遣した最初のビキニ選手です。この競技で日本人選手が優勝するのは、安井選手がデビューした約10年前には想像もできなかったことです。 安井 当初はまさに道なき道を進むような感覚でしたが、私が挑み続けたことで「日本」と「世界」をつなぐことができたのかもしれないと、そう思いました。その表彰台の中央に立ったのは私ではありませんでしたが、これまでやってきたことは決して無駄ではなかったと思えました。 ――安井選手がデビューした2015年から今も現役で活動している選手はほとんどいなくなりました。ここまで現役を続けられた要因は、どこにあると感じていますか。 安井 私自身も、10年前に痩せることだけを夢見てビキニフィットネスを始めたころには、ここまで長く続けられるとは思っていませんでした。デビューして数年後に世界でも結果を出せていたら、そこで辞めていたはずです。逆に言えば、なかなか優勝できなかったからこそ、そのたびに成長するチャンスをいただけて、ここまで続けることができたのかもしれません。負ける痛みを知ることで、身体も心も成長できたと思います。 ――そうした中で、安井選手ご自身も世界で結果を出せるようになりました。 安井 ビキニフィットネスはよりよい筋肉を持っている選手が優勝できる競技ではないんです。筋肉であったり、プレゼンテーションであったり、ステージルックであったり、姿勢の美しさであったり、心の持ち方であったり……、多面的な要素が求められます。その全てを毎年学ばせていただき、レベルアップすることができました。ビキニフィットネスという競技は、私の人生を豊かにしてくれていると思います。 ――そこで得られるのは、身体が良くなるなど、見た目の変化だけではないと。 安井 私はボディビル競技やフィットネス競技は、一種のマラソンのようなものだと考えています。たったの1カ月、たったの1年で結果を出せるものではありません。進歩と向上のために時間をかけて、常に走り続ける。そんな競技だと思っています。また、いくつになっても始めることができる、素晴らしいスポーツです。年齢を重ねてくると、できなくなることが次第に増えていくものです。ですが、私はこの競技に取り組むことで、来年はもっといい自分になれると、そう思えるようになりました。 ――過去を振り返ると、これまでに何度か引退をほのめかすような発言をされたこともありました。 安井 毎年、今年で最後にしよう、これで引退しようという気持ちでシーズンに臨んでいます。ですが、2021年の世界選手権では1位の選手と1点差で2位になれました。来年はもしかしたら優勝できるかもしれない、もう1年だけやってみようと。そんな気持ちで臨んだ翌22年の世界選手権では、1位の選手と同点で2位という結果でした。 ――このままでは終わることはできないですね。 安井 そして勝負をかけた昨年は左足指基節骨を骨折して、引退する覚悟でシーズンに挑んだらフィットモデルで世界一になれたんです。さらに、「やっと世界一になれた……」と思ったら、その直後に翌24年は自国で世界選手権が行われると聞き、ここで引退するわけにはいかないと考えを改めました。 ――そして、まるで何かに導かれるように日本開催の世界選手権の舞台にたどり着きました。 安井 ずっと前から辞めようと思いながらも、そうはさせない運命の風に背中を押されながら進んできたような感覚です。この競技を続けることが自分の使命なのかもしれないと思いながら、1日1日を大切に過ごさせていただいています。現に今も、次のステージが私の人生のピークになると、そう思っている自分がいます。今の自分に、これまでで一番の自信を持っています。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材・文:藤本かずまさ 撮影:Igor & Jakub