移り変わる「米国・イラク」関係 イラン・イラク戦争後の変遷
米国と新生イラクの緊張関係
イラク戦争後、暫定統治を経て、イラクでは2006年5月に正式に政府が発足。人口の約60パーセントを占めるシーア派出身のヌーリ・マリキ首相が就任し、米国などの軍事援助のもと、新生イラクの再建に着手しました。 しかし、誤爆などで民間人の死傷者が増え、国内の反米世論が高まるなか、両者の関係はギクシャクし始めました。その一方で、マリキ政権はイランとの関係を強化。これは米国政府の不信感を高めましたが、米国内の厭戦ムードを背景に、2009年に就任したオバマ政権は撤退を加速。2011年12月、米軍はイラクから完全に撤退したのです。 ところが、米軍の撤退以前から、マリキ政権は「イラク・ナショナリズム」を強調しつつも、そのもとではシーア派の優遇が徐々に鮮明化。これが少数派の不満を高め、スンニ派のISが拡大する背景となったのです。マリキ批判が噴出するなか、8月11日イラクのジャラール・タラバーニー(タラバニ)大統領 はシーア派のハイダル・アバディ国民議会副議長を次期首相に指名。マリキ首相は抵抗したものの、結局8月14日に退陣を表明。米国は即座にこれを歓迎し、シーア派議員の多くもこれを支持したため、イラン政府も歓迎の意を示しました。
「アバディ政権」と米国の関係は
アバディ新首相はフセイン政権時代、英国に亡命した経歴の持ち主。欧米世界にコネクションも多いわけですが、「親米的」とみなされることは、国内政治的に必ずしも得策ではありません。一方、挙国体制が求められるアバディ政権は、シーア派のイランに近づきすぎることも避けるとみられます。 これに対して、ISの勢力拡大やイランの影響力を警戒しながらも、国内世論や財政問題もあり、オバマ政権もイラクへの踏み込んだ関与は控えています。米国とイラクはお互いに、「近づきすぎず、遠ざかりすぎない」距離を測っているといえるでしょう。 (国際政治学者・六辻彰二)