エミー賞『SHOGUN』全世界を魅了した“マリコさま”細川ガラシャの「凄まじさ」どこまで史実? 夫からDVを受けつつも動じない「女傑」
■血や生首で脅されても平然としていたガラシャ 忠興は文化人としては一流でしたが、感情表現があまり上手くなかったようです。江戸時代になってから編纂された『綿考輯録』という史料には、不機嫌な妻の気持ちを、暴力を用いてでも取り戻そうと考えたらしい忠興の姿が幾通りもの逸話を通じて描かれています。 たとえば、台所で不審な動きをしていた「下人(下仕えの男性)」を忠興が斬りつけて殺し、玉の着物で刀についた男の血を拭いたことがあったそうです。しかし、玉は一向に動じず、数日たっても血がついた着物を着続けていたので、忠興が謝って、着替えてもらったという話もあります。 そんな玉に忠興は「汝は蛇」と言ったそうですが、玉は平然と「鬼の女房には蛇か(=が)なる」と答えたとか……。 ほかには「忠興がお手打ちにした者の生首を玉の目前に据えたが、何の反応もなかった」という内容の逸話が3パータンほどあるのですが、これらはすべて忠興による玉へのDVを描くのが主眼の話ではなく、乱心した忠興の所業に騒いだ侍女たちに、玉が「武家の女たるもの、これくらいで騒いではなりませぬ」と教えたという逸話なのですね。 そして玉が、肝が座った女傑であったと称賛する内容でもあったのでした。逸話で見る限り、明智玉は暴力を振るう忠興を無視して侮蔑し、それで攻撃しかえすような「怖い女」だったのかもしれません。
堀江宏樹