「ボールは友達」リアル翼くんだったからこそ本気で説く「監督は何より選手に楽しんでもらわないといけない」【中村憲剛×風間八宏対談 前編】
監督はやっていただく側だからこそ、選手に楽しんでもらう必要がある
風間 監督ってピッチでプレーできない。選手のみなさんに、やっていただく側だから。だからそれはもう選手が楽しんでもらわないとね。 中村 僕自身、選手が楽しめているかどうかが指導者としてのベースになっています。要は見えない世界を教えてあげること。だから「ボールが止まってない」と指摘されたことと一緒で、その選手の認識を変えてあげることを考えています。あんまりガーガーと言うんじゃなくて、ポイントで端的に伝えて引き出してあげるイメージですかね。だから強制とかじゃまったくない。 風間 選手が楽しけりゃ、指導者も楽しいって思えるものだから。そこに自分の欲なんていらない。選手に手柄を立てさせてやろうみたいな欲で教えてもダメだと思う。そうなったらこっちも面白くない。 中村 風間さんの「楽しむ」ベースはやっぱり少年時代にあるんですか? 風間 そうだね。サッカーを始めたのが小5のころ。苦しいことがあっても神社でボールを一人で蹴るだけでそういうことを忘れらたんです。俺の言うとおりに常に傍にいてくれるんだけど、同時に思ったようには動いてくれないっていう一番面白い友達だったよね。 中村 ボールは友達。まさにリアル翼くんじゃないですか! 風間 中学生になってから背が伸びずに、足のスピードで負けてしまっていて。でも歩くときのスピードはみな同じでしょ。ならばボールを(自分の体の)前で扱うんじゃなくて後ろにボールを置きながら前に進むってことを覚えたわけ。そうすると取られないし、いつもサッカーは遊びということが抜け落ちることはなかったね。 中村 みんなボールを蹴るのが楽しかったり、うまくいかなくて悔しかったり、そこが根っこにあるんだと感じます。競争や勝ち負けが入ってくると、大切にしていたところを忘れてしまいがち。「楽しめ!」という指導者も多いとは思うんですけど、どれだけ本気で言えているかどうかは受け手にも伝わりますよね。 風間 俺も選手時代、ドイツでプレーしていたころまでは遊べていたんだよ。マークが2人いても引きつけて抜いたらスタジアムを沸かせられると思って、「ケガさせられるからやめておけ」って周りに言われてもやっていたくらい。でも、1993年にJリーグが開幕して、このチームを勝たさなきゃいけないっていう思いでサンフレッチェ広島に行ったから、いつの間にか勝つことだけにがんじがらめになった。プレーもそこで全部変わって、それがプロだって思い込ませていた時期もあった。家族にも「全然楽しそうじゃない」って言われてたんだよね。 中村 風間さんがいたサンフレッチェは1994年にはファーストステージで優勝しました。 風間 そう。そこでやれることはやったから、もう1回海外でやりたいと思ってドイツ3部のチームと契約して。そこでプレーしていたら、子供たちから「こんなに楽しそうにサッカーしているお父さん、初めて見た」って言われて。本当にそれは衝撃だったね。勝ち負けじゃないところのほうが、絶対に強えよなってあらためて思うことができた。 中村 僕も楽しめないときはありました。でもその時期があったから本当の意味で楽しいっていうことが何なのかが分かったような気がしますね。 風間 俺自身もそうだったからね。
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