青い海、白い砂浜、鬱蒼とした松原、そして富士山…浮世絵にも登場する景勝地にそびえ立つ清水灯台へ
参道沿いには、ちょっとおしゃれなカフェや土産店なども
「歩いてみましょう」 参道沿いには、ちょっとおしゃれなカフェや土産店などもある。冬ということもあって、今は人気(ひとけ)もまばらであるが、さすがは有名な景勝地だ。 やがて視線の先に鬱蒼(うっそう)とした松原が見えて来る。長年の海風のせいか、幹は太く這うように伸びている。何匹もの大蛇がうねっているようで、なかなかの迫力だ。そしてその松の向こうには、大きな青い海が広がった。 「海だ!」 思わず歓声を上げる。 いや、海水浴に来たわけでもなければ、夏休みの小学生でもない。でも、何でか分からないけれど、青い海が視界に広がると、わくわくした喜びが駆けあがって来る。そのまま松原を抜けて砂浜に向かう。 と、びゅーっと冷たい冬の風が吹きつける。 「寒っ……」 先ほどのはしゃいだ気持ちとは裏腹に、身を縮めつつ、ゆっくりと歩く。そしてふと左の方に目をやると、 「おお……富士山だ」 ドン、と、富士山が見えた。 青く霞(かすむ)む山の上には、白い雪を頂いている。 青い海、白い砂浜、鬱蒼とした松原、そして富士山。その色彩のコントラストは正に絵に描かれたようである。 「これを見て、浮世絵にしたくなる気持ち分かるなあ……」 東海道を旅した人々は、この景色を見た感動を伝えたいと思い、描いたのだろう。私もこれまで何枚も浮世絵で眺めて来たのだが、こうして目の前にすると、 「うわあ……」 という、語彙力の欠片(かけら)もない感嘆しかない。 この浜に漁師や海女の姿を見た人が、創作意欲に駆られて『羽衣』を書くのは納得できる。ここは、天から天女が舞い降り、そして飛び去るのに相応(ふさわ)しい景色だ。 「さて、いよいよ本題に参りましょう」 鰻、絶景と、土地の魅力を知ったところで、目指す灯台へと向かった。
天女のような灯台
三保の松原から清水灯台までは、車で十分ほど。三保半島の突端にある。車を降りて見上げると、つるりとした白い肌を持つ灯台がすっと立っている。 「きれいですね」 それが最初の印象だった。 灯台を個別に比べて見たことがないのだが、この清水灯台は、しなやかで細身で美しいな、と思った。 「日本で初めての鉄筋コンクリートで造られた灯台なんです」 教えてくれたのは、現地で待っていてくれた海上保安庁の深浦勝弘(ふかうらかつひろ)さん。 この灯台が建てられたのは、明治四十五年のこと。当時としては最新技術であった鉄筋コンクリート製ということもあり、完成から七カ月で二万人が訪れたという。 「観光スポットだったんですね……」 灯台というと、どこかポツンと寂しい場所に建っているような気がしていた。 どうしてそう思ってしまうのかというと、やはり映画『喜びも悲しみも幾歳月』のイメージによるところが大きい。過酷な自然と向き合い、夫婦で支え合いながら苦労する……そんな印象である。 「ここは、すぐ裏手に官舎があったんですよ」 深浦さんによると、灯台の後ろには広い官舎が設けられていた。こちらも当時としては最先端の住居で、灯台守は家族と共に暮らしていたという。役人として給料も安定し、オーシャンビューの住まいがあり、最先端の灯台を任される。 「ここの灯台守はかなりハイカラさんな暮らしぶりだったのでは……」 そう思わせる暮らしが想像された。 「これなら、夫婦で赴任しても耐えられますね」 などと、やっぱり『喜びも悲しみも……』のイメージを引き合いに出しつつ、当時の様子を思い浮かべる。 「今は自動で点灯するのですが、平成七年までは灯台守がいたんですよ」 と、深浦さん。意外と最近まで、人力でのチェックを欠かせなかったらしい。 「最後の灯台守の娘さんがデザインしたのが、この清水灯台の特徴の一つでもある、天女の風見鶏なんです」 頭上を見上げると、清水灯台のてっぺんには確かに天女の姿を象(かたど)った風見鶏が、右へ左へとひらりひらりと舞っている。 何となく、この灯台そのものの佇まいも、能舞台で見る、白い着物の天女の姿に似ているように思える。 「では、中に入ってみましょう」 安全のためのヘルメットを装着し、いよいよ灯台の中へ。