「島を持っている人と一緒になりたい」が叶ってフィリピンの小さな島に移住。島でキルト産業を生み出し世界中に広げた女性とは
根付いたキルトを存続させたい
カオハガンキルトの魅力は、一枚一枚がキルターの日常から生まれる風景や心情を写しているところにある。順子さんは制作方法を押し付けなかったため、キルターのオリジナルがより引き出せたと考えている。カオハガン島の自然に近い、素朴な仕上がりなのだ。 島の宿泊施設で販売を始めたカオハガンキルト、魅了される人は徐々に増えてきた。1997年にインターナショナル・キルトウィーク主催で、横浜のキルト展に招待されたことを皮切りに、各地で展示販売が広がっている。2009年にはアメリカのネブラスカ大学の「インターナショナル・キルト・スタディ・センター」にカオハガンキルトが永久保存された。このほか、フランス、スペイン、ニュージーランド、台湾、韓国、中国の展示会も大盛況だった。 今、島には60人のキルターがいる。一枚の売値の半分はキルターへと支払われ、残りは材料費、キルトを制作する小屋の維持費、各地への輸送費などに使われる。例えば、日本の通販サイトで販売されている150cm × 150cmサイズのキルトは22,000円、小物やバックなどもある。これらでキルター1人につき年間約20,000~40,000円の収入だという。現金収入が月平均約20,000円のカオハガンの家計には大きな助けだ。 現在、順子さんは主に日本でキルト販売を行い、カオハガン島では現地男性と結婚した日本人の嘉惠さんがキルターたちを取りまとめている。嘉惠さんにキルトを通してカオハガン島との架け橋になっていることについて尋ねた。 「元々、私は日本の雑貨店でカオハガンキルトを販売していた立場から、島で管理側になった経緯があります。キルターたちとより深く関われる喜びがあったはずなのですが、いつの間にか、このキルトは売れそうだ、売れにくそうだと仕分けをしていました。でも結果は逆のときもあったんです。島のお母さんたち(キルター)は、そんなことなどお構いなしに、心地よい風に吹かれながら、自由に作っているんです。その姿を見てハッとしました。どのキルトも唯一無二の存在で、個性と愛の塊だと思い出しました」 移住して10年になる嘉惠さんは、日本でカオハガンキルトに出合ってから今までの思いを語ってくれた。順子さんが32年前に島で始めたキルト作りは、今こうして次世代に大切に引き継がれている。 この取材を機に、嘉惠さんにキルター歴30年のマティアマニラグさんへインタビューをしてもらった。 「はじめはアップリケが難しくてうまくいきませんでした。でも、植物、動物、特に海の生き物が生き生きとしている表情を描くのが楽しくて。大きな台風で家の屋根に穴ができたとき、夫とその穴を眺めながら、そこにどんなアップリケをしようか話したこともあります。つらいことも、キルトがあったから、楽しい発想に結びつけられました」 マティアマニラグさんは、今は島のキルトの先生をしている大ベテランであり、キルトが生活の中に根付いていることを語ってくれた。また、キルトの収入が子供たちの教育費に当てられたことも継続のモチベーションになっていた。今後は、彼女の持つ技術やアイデアを次世代に伝えていきたいと話してくれた。 島民にキルトを伝えた順子さん自身は今、カオハガン島と各地の展示会を往復しながら、キルターたちの思いと作品を届ける役割を担っている。 「カオハガン島のキルトの歴史が作られていくのを、リアルタイムで見られて幸せです。このキルトがこれからも世界中に広がることを私は夢見ています」
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