「常識をブチ破れ、生きる力を目覚めさせよ!」…破天荒な学者が「悪魔の顔」を選んだ「驚きの理由」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「常識をブチ破れ!」…破天荒な学者が「悪魔の顔」を選んだ驚きの理由 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
「悪魔の顔」の法哲学
一応「法哲学」と銘打っているので、ご存じない方も多かろうこの分野について簡単に説明しておこう。 そもそも哲学とは、既成の知を徹底的に疑い、〈存在すること〉の根拠は何であるのかを探究し続ける思考だ。私たちが自明としている常識を問い直し、思い込みを問いただし、そして真理の探求へと向かう。 法哲学は、法律に対してその思考を向ける。つまり、人間社会のさまざまなルールの中で、なぜ法律だけが国家権力による強制力をもつことができるのか、そのような法律を成立させ存在させるものは何なのかを問う。 また、はたして議会で制定される法律だけが法なのか、制定法を凌ぐより高次の法があるのではないか、あるいは制定法よりも人間社会の多様な営みの中で自生する法こそ重要なのではないか、などと考えたりもする。古代ギリシアに起源をもちヨーロッパで発展した、歴史のある学問なのだ。 私は、法哲学には2つの顔、つまり天使の顔と悪魔の顔があると思っている。 天使の顔とは、実定法学(民法とか刑法とか、具体的な制定法についての学)に協力し、それらがよりよく正義を実現できるよう改革するための指針を示すことである。たとえば、憲法に対しては、立憲民主主義の基礎となる人権や法の支配などについて深い思索を提供し、刑法には、刑罰の目的をめぐり、応報主義と社会防衛論との関係をどう考えるかについての提言をする、などである。 一方で悪魔の顔とは、現行法体系の基礎原理やそれを支えている人間社会の習俗とか常識それ自体を徹底的に疑い、容赦なく批判してゆくことである。たとえば、なぜ臓器を売買してはいけないのか? なぜ賭博は犯罪とされるのか? 政府と暴力団とは本質的に同じではないのか? なぜクローン人間を作製してはならないのか? 等々。 で、私の法哲学はどちらかというと悪魔の顔の方である。つまり、あえて法律とそれを支える学や常識に疑問を呈し盾突いてゆく。なぜそうするかというと、私がもともとアナーキズムの側に立っていることと、社会問題の解決手段として法律ばかりを万能視したくないからだ。 法律は所詮、世界を回す諸システムの中の一つでしかないと考えている。このように法律を相対化することで、法律には託しえない人間のさまざまな〈生きる力〉に目覚めていきたいのだ。決まり事に従うのではなく、自分自身の頭で考えることで、私たちはより自由になる。だからこの本は、ディオゲネスと出会ったあの頃の気持ちのままに、哲学的な視点で法律や常識を批判的に再検討する、というのをテーマとしている。