「一緒に暮らす男性に包丁を振り回された」ことも…複雑な家庭で育った中山美穂さんが”寡黙で人見知り”だった「もうひとつの素顔」
6日、54歳という若さで中山美穂さんが亡くなった。歌手として女優として、約40年にわたる活動に突然終止符が打たれたことを哀しむ声があふれている。 【画像】「また来るね」…中山美穂さんが“大切な人”と時間を過ごしていた場所 当日はクリスマスコンサート『Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live』大阪公演を開催予定だったが、午前9時の待ち合わせ場所に現れず、不審に思った事務所関係者が自宅を訪れたところ、浴槽で亡くなっていたのを発見した。検視の結果、事件性はなく、入浴中に起きた不慮の事故によるものだという。一世を風靡したスーパーアイドルとのあまりに突然の別れとなった。
寡黙で人見知りだった素顔
さまざまな作品での姿が思い浮かぶが、筆者にとって何より印象深いのが、デビューまもない時期に取材したときのことだ。とにかくしゃべらない子で、何を聞いても「はい」「ええ」「だと思います」などと消え入るような声で返された記憶が残っている。 こちらも駆け出しで、まだ指で数えられるほどのインタビュー経験しかなかった。そのせいかと思いきや、同業者のあいだでもインタビュアー泣かせで通っていると知り、少しホッとしたものだ。 3年後にデビューした妹の中山忍も似たタイプだったが、手こずる若手たちに「お姉ちゃんはもっとしゃべらなかったよ」とマウントをとるベテラン記者もいた。 ただ、姉が寡黙で人見知りだったのは、いきなりスターになってしまった戸惑いも大きかったのだろう。1985年の1~3月期に放送されたドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)。当時中3だった彼女は、ちょっとエッチなツッパリ少女の役を生き生きと演じてみせ、人気者になった。34年後、こんな回想をしている。 「ホントにある日突然、知名度が上がってしまったんですよ。寝て起きたら有名になってた、っていう感じだったんですよね」(『SONGS』NHK総合) そんな戸惑いとともに、大人の男性への警戒心も働いていたのだろう。2009年に出版されたエッセイ本『なぜならやさしいまちがあったから』によれば、彼女が3歳くらいのとき、親が離婚。母親は「すべてを振り出しに戻し」子供たちを「姉夫婦のもとに」預けた。その後、母親との生活が再開されたが「一緒に暮らす男性に包丁を振り回され」たりしたという。 芸能界の水が合ったのは、そんな現実から離れて、キラキラとした輝きをまとえる世界だからかもしれない。