「一緒に暮らす男性に包丁を振り回された」ことも…複雑な家庭で育った中山美穂さんが”寡黙で人見知り”だった「もうひとつの素顔」
「85年組」でアイドルシーンを牽引
それがよくわかったのが、この年の日本レコード大賞だった。1985年の新人アイドルは豊作で、松田聖子らの80年組や中森明菜らの82年組に匹敵する陣容。ただ、80年や82年と違うのは、ドラマやバラエティーきっかけで売れるケースが目立ったことだ。前者の代表が斉藤由貴、後者の代表がおニャン子クラブである。 そんななか、彼女もドラマきっかけで人気を得て、6月に歌手デビュー。松本隆・筒美京平というゴールデンコンビのもとで、こちらでもゆるやかなイメチェンが進められていた。なお、新人賞レースには斉藤やおニャン子同様、不参加の姿勢だったが、デビュードラマと同じTBSの制作ということもあって、これにだけ参戦。いわゆる一本釣りで最優秀新人賞を獲得する。 これにキレたのが賞レースに皆勤して、ここでも有力候補だった本田美奈子だ。その夜は荒れまくったそうで、1995年にインタビューした際「悔しかったですよー。でも、今に見てろって」と、当時の本音を明かしてくれた。そして、この悔しさをバネに「和製マドンナ」的なセクシー路線にイメチェンするわけだ。 そんなふたりがともにもうこの世にいないことを思うと、哀惜の念を禁じえない。 ………… 【つづきを読む】『自分は「自由な恋愛をしようと思った」…中山美穂さんが背負っていた「亡き親友の思い」』
宝泉 薫(作家・芸能評論家)