25年目夫婦の行く道は孤独な運転に似ている。ベテランタクシー運転手さんの極意から思うこと【小島慶子エッセイ】
エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。 このほど長男は無事オーストラリアの大学を卒業し、友人たちと家を借りて暮らすことになった。来年はそこから職場に通う。いよいよ完全な独り立ちである。めでたいめでたい。長男の新居が決まったので夫は引っ越し準備を加速し、父子で身の回りのものを売ったり捨てたり譲ったりで忙しい。 私は夫との新生活のためにビルの谷間から静かな住宅地に引っ越して、半年が経った。都心に向かう首都高は今日も渋滞している。「こんなにたくさん車が通るのに2車線って、どう考えてもおかしいですよね。60年前に作った道だからしょうがないけど……もう広げようがないですよね、両側ギリギリまでビルですもんね」と、ついこの前までそんな高速脇のビルの一室で一人暮らしをしていた身で他人事のように言ってみる。眼下を行く車の音とその向こうに聳える高層ビルの明かりが心の友だった。「そうだね! せめて3車線あればね」と陽気な熟年の運転手さん。「けど新しい道路だってトンネルでしょっちゅう事故で通行止めだよ。空港に行く時は、あの道はやめたほうがいい」と親切である。「いいことを聞きました。お詳しいですね」「この仕事47年もやってるからねー」「よ、47年!!!」 お見受けする限りではそんなにご高齢にも見えない。多分10代から働き始めて、ハンドルを握って半世紀近くになるのだろう。「東京の道は全部頭に入ってますよ。私らの頃はみんなそうだったよ」「確かに、裏道とか抜け道、昔は運転手さんに随分教えていただきました。それにしても、一つのお仕事を47年も続けているなんて、心底尊敬します!」本音である。私は呼吸と排泄以外の何かを47年も続けたことがない。夫婦生活だってまだ24年しか経っていない。運転手さんの仕事人生の半分である。 「やめようかなと思ったこと、ありますか?」と聞くと「ありますよーー」とニコニコ。「昔はほら、これ、ギア変えてクラッチ踏んで、ガタガタ大変だったでしょ。あれでもう疲れちゃって」と、ハンドルの左側で握り拳を上下させ、足をバタバタしてみせる。そうだった、確かに昔のタクシードライバーさんはあのハンドルの左側の棒を押したり引いたりガタガタやっていた。車も狭くて決して乗り心地がいいとは言えなかったが、一日中運転しているドライバーさんも相当きつかったのだろう。「なんでやめなかったんですか」「だって新しい仕事探すのも大変だし、まあこれずっとやっていくかーと思って。まさかこんな車になるとは思わなかったしね」2回目の東京五輪を機に急増した箱型のタクシー車両である。「もうギアもクラッチもないし、広いしねー」なるほど運転手さんも楽になったのか。今はご高齢のドライバーさんが多いので車種変更は理にかなっている。「私もこれ大好きですよ! 乗り降りが楽だし、平たい車にはもう乗れないです」「お客さんはみんなそういうね」と話しながら効率よく渋滞を切り抜けて、時間よりも早く目的地に到着。さすがである。今は降車後にアプリでチップをお支払いできるので、チップと一緒に感謝のコメントを書き込んだ。