明治維新後 困窮した福島・郡山市でコメ収穫量を10倍に 知られざる鹿児島出身の農民・塚田喜太郎を顕彰する講演会
南日本放送
明治維新後、福島県郡山市で行われた開拓事業を指導し、コメの収穫を10倍にした鹿児島の農民・塚田喜太郎の足跡を伝える講演会が鹿児島市で開かれました。 塚田喜太郎は江戸時代の1821年、現在の鹿児島市山田町に生まれました。優れた農業土木術を買われ、明治維新後の開拓事業が成功せず、入植した士族2000人余りが困窮していた福島県郡山市に、1880年・明治13年に招かれ、現地で亡くなるまでの10年間、農業を指導し、コメの収穫量を10倍にしました。 1日の鹿児島市での講演会は、福島で顕彰される一方、鹿児島でその存在が知られていない塚田の功績を伝えようと開かれ、志學館大学の原口泉教授が当時の世相や開拓事業の厳しさについて語りました。 (志學館大学・原口泉教授)「塚田喜太郎ほど福島県郡山市で尊敬されている人物はいない。明治13年に新しい農業を始めた実験が大きな知恵を現代の私たちにも与えてくれる」 プロジェクト団体は現在、塚田のふるさと・鹿児島市山田町に顕彰碑を来年3月に建立する計画を進めています。
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