「南海トラフ地震臨時情報」に突きつけられたイエローカード
2)日向灘ではマグニチュード7級の地震が約30年間隔で繰り返し発生している。対照的に南海トラフのプレート境界の地震活動は普段は非常に静穏で、日向灘の地震と南海トラフ地震とでは地震の起きるパターンが異なるのではないか。少なくとも17世紀以降、日向灘を震源とする地震が南海トラフ地震に先行して発生した事実は確認されていない。 3)「臨時情報(巨大地震注意)」で巨大地震発生の可能性が平常時と比較して高まったとする根拠に、南海トラフ地震の特性を考慮せず、世界で発生した地震の統計データ(1,437分の6の発生確率)をそのまま機械的に当てはめているのは意味がない。 4)最初の地震が想定震源域内のどこで起きたかは大事なポイントだが、日向灘で8月8日に発生した地震が、想定震源域にどのような影響を与える可能性があるのかについての解釈や説明がされていない。 ■大震法の“亡霊”に引きずられた制度設計 石橋氏はまた、制度設計にも不備があったために一部で過剰と思える反応を引き起こしたと指摘した。 石橋克彦・神戸大学名誉教授 「(「臨時情報」のしくみは)どうも大震法、大規模地震対策特別措置法の発想を引きずっている感があります」 大震法は、東海地震を念頭に地震の予知が可能との前提で1978年6月に成立した法律で、気象庁が東海地震の発生を予知した場合に内閣総理大臣が警戒宣言を発令し特別な防災対応をとることなどが定められている。そして、この大震法が制定されるきっかけとなったのが、1976年に石橋氏(当時は東京大学理学部助手)が唱えた「駿河湾地震説」(後の「東海地震説」)だった。その後、「予知は可能」を前提とする防災対応が長く続いたが、東日本大震災を機に見直す気運が高まり、政府は2017年、防災対応の前提を「予知は不可能」へと180度転換し、警戒宣言も事実上廃止された。 ところが、石橋氏は言う。「大震法の“亡霊”がある」と。 石橋克彦・神戸大学名誉教授 「臨時情報体制はある種の短期的な地震発生予測みたいなものが可能だという前提で、臨時情報が発表されて内閣府の呼びかけで国民が一斉に防災行動を起こす。つまり何かのトリガーというかスイッチが入ると防災対応が始まるという、その大きな図式は(大震法を)踏襲しているわけです」