「変革者」ポステコグルーが日本を愛した理由。横浜F・マリノスで成し遂げた“アンジェボール”
「2019年には優勝したが、2018年は恐ろしく降格圏に近かった」
当然ながら、思想の変革には犠牲がつきものだ。サッカーの場合、新しいプレースタイルを受け入れられない選手、あるいは受け入れようとしない選手は長く続かない。選手によっては、それまでに築いた地位や契約の長さ、市場価値の下落などが妨げとなり、監督が放出を望んでも移籍が難しいことがある。 しかし、ポステコグルーの場合、シティ・フットボール・グループ(CFG)が横浜F・マリノスを一部所有していることが後押しになったはずだ。成功の訪れをじっと待つ姿勢は、このグループのDNAには刻まれていない。すべての場所ですべてを一挙に勝ち取ることへの抑えきれない欲求は、マンチェスター・シティへの資金の注ぎ込み方によく表れている。 ポステコグルーがスコットランドに飛び立ったあと、クラモフスキーは日本に残って監督になった。 「2018年はジェットコースターでした。あのサッカーを急ピッチで始動させて、疑う声もありましたが、私たちがやろうとするプレーは急速に浸透しました。シティ・フットボール・グループは当時、私たちのサッカーが出来上がっていくスピードに驚いていました。ただし成績面では、1年を通じて少しばかり浮き沈みが激しかった。そうなってしまう原因は残りましたが、自分たちのサッカーは形になっていましたし、その裏打ちとなる基準も定まっていました。成功が近づいていたんです。 止めようがなかった。私たちがF・マリノスに行ってから最初の12カ月間で25人前後、あるいは30人もの選手を入れ替えました。そして、ご存知のように2019年には優勝しましたが、2018年は恐ろしく降格圏に近かった。言ってしまえば、不安な時期もありました。しかし、ここはクラブの株主、そしてCFGを称えるところですが、彼らはアンジェを信じ、選手補強を助けました。そして、最後に見返りを得たのです」 クラモフスキーは次のように強調した。 「そこがアンジェの大事な特徴です。彼はクラブのアイデンティティを構築するんです。アンジェがクラブに残したものは、明らかに今も生き続けています。レガシーは時を超え、本人がいた期間よりもずっと長く残ります。アンジェにとっては、それがすべてなのです。横浜F・マリノスというクラブは今も毎週末、あのサッカーを欲している。それがアンジェのレガシーです。セルティックでも同じことを目指したに違いありません。自分がいる間、そして去ってからも成長し、進化を続ける。アンジェにとっては、これが本当に大事なんです。彼は純粋なサッカー人であり、彼にはこれがすべてです」