「変革者」ポステコグルーが日本を愛した理由。横浜F・マリノスで成し遂げた“アンジェボール”
日本に来てJリーグで監督をしたいと思った理由
ポステコグルーの手法に対する当初の反発は、単純にスピードの変化を好まない選手にとどまらなかった。就任1シーズン目、クラブの「上の人たち」がどれほど懸念を口にしていたか今矢は忘れていない。すでにポステコグルーの側近となっていた今矢に直接伝えに来るほど、彼らは自分の言い分に自信を感じていた。この事実は、新体制1年目の苦しみを物語っている。 今矢はかろうじて降格を回避した最初のシーズンを「緊迫」という言葉で表現し、ポステコグルーは批判を受け入れざるをえなかったと振り返った。クラブを上昇気流に乗せることができるまで、彼はベンチに置かれた選手から飛んでくる批判や、スタンドのクラブ幹部が投下する非難に耐えなければならなかった。 「でも、今のJリーグを見ると。皆がアンジェと同じようにプレーしたがっている。これは、彼がしたことの直接のレガシーです。私の見方では、彼は日本サッカーが進む道を変えました。戦術面だけでなく、精神面でもです。彼は信じられないような、本当に面白いサッカーを実現し、それを皆がやりたがるようになっている。あのサッカーで実際に結果を出し、リーグ優勝できることに気づいたのです。でも、最初にやったのはアンジェにほかなりません。並外れたリーダーシップが必要でした。 アンジェは来日以前から日本の選手を称賛していました。日本人選手のプレースタイルや能力に常に敬意を払い、好ましく思っていたんです。実際、サッカルーズの監督として日本と対戦している彼を見るたび、本当は日本の選手と仕事をしていたかったんだろう、という印象を受けたくらいです! 日本選手のプレースタイルが大好きだったことも、彼が日本に来てJリーグで監督をしたいと思った理由です。 アンジェには、Jリーグのチームが退屈なサッカーをしたがる理由が理解できないようでした。語弊のある言い方かもしれませんが、少なくともエンターテインメント性では劣っていた。アンジェは日本に質の高い選手がいるのを知っていたので、『攻撃サッカーをやったらどうだ? それに適した選手がいるじゃないか。彼らならできるのに』と考えていました。その考えを実証したわけです。これが始まりでした」