このままでは「日本は失われた40年」へ突入する
この間、新しいシステム、日本モデルを提示することはなかった。制度学派的な議論が流行し、日本型システムとは、という議論が1980年代にはじまり、1990年代、2000年に入っても続いたが、それは日本の過去を正当化したり、説明のつじつまを合わせて喜んだりしているだけで、新しいモデルは提案されなかった。 21世紀になってからは、改革案も提示されたが、今に至るまで、アメリカに比べて劣る、という自虐的な批判か、アメリカ礼賛のただのコピーかにすぎなかった。新しいモデルもなく、古いモデルも壊し、何もない状態にしてしまったのである。
そして、2024年も何も変わらなかった。 最先端半導体の開発・製造を目指すラピダスに関与することによって1980年代の栄光を取り戻そうとしている。また、バブル的ないい車は生み出したことはあるが、いい技術者・優秀な文系人間を抱えながら、組織としては、何も株主にもたらさず、自己満足の組織だった日産自動車は、1990年代に実質的に破綻したにもかかわらず、黒船的なコストカットだけで、何かチェンジしたふりをし(自分たちもそんな気になり)、黒船が去った後、1980年代のもとに戻そうとして、結局何もしてこなかったことが現状を招いている。
何と言っても、せっかくオランダに本拠を置くステランティスグループに加われるチャンス(当時イタリアのフィアットグループがルノーを買収することにより)があったのに、自ら潰し、フランスのルノーとの資本関係を解消し、1980年代のように好き勝手に自分の思い通りにやれる日産を夢見たところが、致命的に間違っていた。 ■経済学者が新しい日本の経済モデルを提示すべきとき これから20年後には、20世紀に先進国だった地域の自動車メーカーは日本のトヨタグループだけになろうとしている現在、欧州は、ステランティスのように、超高級ブランドのポートフォリオを組んで、スイスの時計ブランドやフランスのLVMHのような生き残りを図る以外は、量産メーカーはすべて消えようとしている、という現状を直視する気がまったくないのである。