「不思議なスポーツと思われないように」フィギュアスケートという採点競技を放送するうえでの不安と、成功へのカギ
■ 荒川静香、安藤美姫、浅田真央の活躍 不安もありつつ始まったフィギュアスケートの放送は、2004年の世界選手権から始まり、この大会で荒川静香が金メダルを獲得する。ただ、世間の関心の大きな変化はまだ生じなかった。 「世界選手権が終わって、帰国した荒川さんには大きな注目が集まりましたが、シーズンスポーツということでその話題も長く続くことはありませんでした」 その後、変化の波が訪れる。4回転ジャンプの成功で知られていた安藤美姫が雑誌の表紙を飾り、数日で完売を記録するなど大きな注目を集めるようになっていった。 2005-2006シーズンはさらに大きな波が押し寄せた。前シーズンの全日本選手権に中学2年生で出場、トリプルアクセルを成功させて2位となった浅田真央がグランプリシリーズに参戦。2位、1位の好成績をあげてグランプリファイナルに進出。この年からテレビ朝日がグランプリファイナルの放送を手がけるようになったが、このファイナルで浅田が優勝を果たした。 その活躍に加え、年齢制限により同シーズンに控えていたトリノオリンピックに出られないこともあいまって関心が高まり、ときの小泉純一郎首相が「出られないものか」と発言するなど社会現象と化していった。
■ ゴールデンタイムに6日間連続で放送 迎えた2005年12月の全日本選手権の視聴率はそれを裏付けるものとなった。女子ショートプログラムは27.2%、女子フリーでは33.7%を記録したのだ。 さらにトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲得すると、フィギュアスケートはかつてない熱に包まれた。 この流れを受けて、翌シーズン、フジテレビは1つのチャレンジに出た。2007年3月、東京体育館で世界選手権が開催された。このとき、ゴールデンタイムの時間帯に6日間連続で放送したのである。女子だけでなく男子のショートとフリー、エキシビション、さらに「開幕スペシャル」を加えての6日間だ。 その初日から高視聴率をあげ、連日二桁の視聴率を記録。6日間平均で24.7%、女子フリーは38.1%に達した。瞬間最高視聴率は安藤美姫の得点が出て優勝が決まり、優勝インタビューに移るまでの50.8%であった。 23.3%を記録した最終日のエキシビションでは2005年から安藤と交流を持つ絢香が『I believe』を会場で歌う中、安藤が滑る光景があった。安藤が苦しい時期の支えとし、そのシーズンのエキシビションナンバーとしていた曲だった。 「番組プロデューサーとして、この夢の共演を東京の世界選手権で実現したいと考え絢香さん側に交渉を開始、事務所もレコード会社も前向きに動いて、アンコール曲の提案も頂くなど2曲の共演が実現しました」 その後もフィギュアスケートは高い関心を呼び続けた。当初は女子が先行したが、高橋大輔、羽生結弦らにより男子の人気も上がり、男女を問わず観られるスポーツへと成長するようになっていった。 その中で、近藤はフィギュアスケートならではの魅力を発見していった。(つづく)
松原 孝臣