彼らがいなければ、ダ・ヴィンチもフェルメールも消えていた―ジェームズ・J・ロリマー『[図説]ナチスに盗まれた美術品:フェルメール、レンブラント、ダ・ヴィンチ作品救出の記録』
ナチスの略奪から文化財を守るために結成された美術品専門家たちによる特殊部隊「モニュメンツ・メン」の活躍を描いたスリルと臨場感あふれる物語。人類の遺産、特級美術品を取り戻す決死のプロジェクトを記録した書籍『[図説]ナチスに盗まれた美術品』から序文を特別公開します。 ◆ゴヤ、ベラスケス、ブリューゲル、ミロのヴィーナス、クリムト、デューラー…… 1980年秋、ベルギーに住んでいた私は、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙でローズ・ヴァラン氏の死亡記事を目にした。ジュ・ド・ポーム美術館の下級学芸員で、第二次世界大戦中も同美術館の職を維持し続けた彼女は、フランスにおけるレジスタンス(抵抗運動)の英雄で、自らの命を幾度も危険にさらしただけでなく、約6万点にも及ぶフランスの美術品を救い、あるいは取り戻したという。美術館に勤めた経験のある私には、6万点という作品数が膨大であることはわかる。例えば、ワシントンのナショナル・ギャラリーでさえ、現在所蔵する絵画は約4000点ほどだ。 この事実を知って驚いた私は、第二次世界大戦中の美術品にはいったい何が起きていたのだろう? と思い巡らした。私が美術館で働いていた1980年当時、この話題を耳にしたことはなかった。だが、ベルギーにいる知り合いの美術館関係者に話を聞いてみて、自分の無知に愕然とした。ジェームズ・ロリマー氏をはじめとし、戦時中に「記念建造物・美術品・公文書」部門の担当官として従軍した数多くの人々のことを、私は知らなかったのだ。枢軸国および連合国を問わず、美術館のコレクションを、そして西欧世界の全遺産を破壊から救おうとした、美術館関係者の果敢な行動を、知らなかったのだ。私は実際に、こうした美術館関係者の多くに会ったことがあったが、彼らの体験についてはまったく知らなかった。ナチスがイデオロギーの下に千年帝国を創造し、装飾しようとしたがゆえに、膨大な美術品が、本来の在り処から動かされたことについても、まるで知らなかったのだ。 この話題に関して、私はヨーロッパで調査を始めた。だが、ナチスが美術館やギャラリー、そして多数の美術品を所有する個人を対象に行った、美術品コレクションの没収、強制売却、差し押さえの規模がいかに大々的だったのかを知るに至ったのは、1984年にアメリカに帰国してからだった。また私は、現在「モニュメンツ・メン」と呼ばれるようになった多くの国の担当官が、危険に身をさらしながら、何百万点もの動産の美術品を発見し、保護し、盗まれた国々に返還したこと、そして同時に、紛争地域にある偉大な建造物の損傷拡大を防ぐために、彼らが素晴らしい活躍をしたことも、知ることとなった。退役軍人の大概がそうなのだが、専門知識を駆使してヨーロッパの宝を救い出したこれらの人々は、自らの功績について多くを語らず、任務を果たした誇りを胸に自国へ戻り、その後の新たな人生を生き続けた。そのため、1980年代のアメリカでは、この話題はおおむね忘れ去られていたのだ。 意外にも、調査の情報源は豊富だった。ワシントンの国立公文書館には、ナチスの略奪組織や、それらの組織と取引を行った美術商に関する詳細な記録など、敵国側から押収した何百万もの文書が収蔵されている。戦時中に散逸した美術品の回収を目的として、アメリカ大統領が設置した委員会は、その本部をナショナル・ギャラリーに置いていた。議会図書館にも、ゲーリングの写真集をはじめ、さまざまな資料がある。私は、国立公文書館でコピー機を奪い合いながら、手作業で10年をかけ、楽しみつつ資料を確認していった。コンピューターが普及する以前の、現在のように膨大なオンライン・データが利用できなかった頃の話だ。 ◇ 美術品の守り手の業績を正確に伝える しかし、こうした資料よりも重要なのは、当事者の個人的な物語だろう。戦後すぐに、モニュメンツ・メンの何人かが手記を出版してはいたが、1980年代にはこうした手記もすでに流通していなかった。今や、美術界の頂点に立つ英雄たちに接近しようと考えると、かなりの重圧を感じた。インタビューを要請する手紙を書き送ると、彼らの多くは躊躇した。インタビューの際、ある人は、私がトラブルの種になるかもしれないと恐れ、自衛のために室内に巨大なオープンリールのテープレコーダーを設置したほどだった。だがそんな彼も、しばらくするとリラックスし、昼食とかなりの量のワインを消費したのち、驚くべき話を語り続け、次々に写真や資料を見せてくれた。インタビューをしたモニュメンツ・メンは当初、自分たちの戦時中の功績に関心が向けられていることに驚いていたが、その驚きを通り越すと、彼らの物語が正確に語られることを望むようになっていった。 私がインタビューをする段になる頃には、残念ながら、ジェームズ・ロリマー氏はこの世を去っていた。ロリマー氏による資料や報告書は、国立公文書館に多数残されており、私は同氏の著書『Survival: The Salvage andProtection of Art in War』(未邦訳、仮題『サバイバル: 戦争における美術品の救出と保護』)を見つけて読んだが、他にも何か情報源がないものだろうかと模索していた。そして、戦争末期にドイツのミュンヘン中央集積所を統括していたロリマー氏の同僚、クレイグ・ヒュー・スミス氏の計らいにより、1986年6月、ロリマー氏の未亡人であるケイ(キャサリン)・ロリマー夫人から手紙を受け取ることとなった。 ここで亡き夫の書簡を調べております……多くの書簡や、戦地からの報告書が見つかっています……かなりの重量になる膨大な書類は、あなたの調査に役立つかと思われますが、郵送はためらわれますし、知識に基づいた仕分けも必要です……もしお時間とご興味がおありなら、こちら(クリーブランド)においでになり、この重要な資料をご覧になることを大歓迎いたします……資料の調査とは申しましても、半分は休暇のつもりで、水着、バードウォッチング用の双眼鏡、ハイキング用の靴でも持っていらしてください。 私は迷わずこの招待に応じ、ロリマー夫人と共に、資料のコピーを取ったり、共通の友人を見つけたり、オハイオ州の田舎を散策したりして、楽しい数日間を過ごした。ロリマー夫人は、夫のロリマー氏がヨーロッパでの任務中に撮影した数々の写真を(同氏の著書やその他出版物に使用されたため多少の劣化があるが)提供してくれ、また後日、追加資料を送ってくれた。夫人には、ニューヨークでも何度か会った。彼女の信頼と友情に対する私の感謝の気持ちは、永遠に止むことはないだろう。 1990代半ばには、一連の出来事がきっかけとなり、第二次世界大戦時に散逸した美術品への関心が再び高まりを見せた。まず、ソビエト連邦の崩壊により、ずっと行方不明と考えられていた、ドイツと連合国の膨大な美術品の所在が明らかになった。また、戦後50周年を迎えたこと、ホロコーストの研究が進んだこと、そして「鉄のカーテン」の崩壊があった。こうした出来事により、失われた美術品と、その回復状況についての認識が新たになったのだ。失われたのは美術品だけではなかった。不動産の回復や補償についての関心も、再び高まった。ソ連の強制収容所の元捕虜や、ソ連およびナチス双方の強制労働者からの賠償請求もあった。以来、戦時中の略奪の問題は、世間の関心を大きく集めるようになった。1998年にはワシントンで、そして2008年にはプラハで大規模な会議が開催され、美術品の返還に関する新たな基準が設定された。現在も、多くの国々の裁判所が請求の内容を精査し、対応を続けている。 第二次世界大戦末期の混乱の中、西洋文明のすべての歴史的遺産とも言うべき美術品を保護する任務のために、関係各国から集結した少数の美術専門家たちは、いったいどのような困難に直面したのか。今日、これを真に理解している人はほとんどいない。本書は、困難を極める状況下におけるジェームズ・ロリマー氏の意志、勇気、専門性だけではなく、同氏と共に任務に当たったモニュメンツ・メンの姿をありありと映し出す、重大な記録である。 ロリマー夫人は、ロリマー氏の既刊書がいつの日か再び出版されることを願っていた。この序文を記すにあたり、ロリマー夫人、アン・ロリマー氏、ルイ・ロリマー氏に最大の喜びと感謝を捧げ、夫人の願いが叶ったことに拍手を送りたい。 [書き手]リン・H・ニコラス(作家、歴史家) アメリカ合衆国コネチカット州生まれ、大学では歴史を専攻し、オックスフォード大学で文学士の学位を取得。ワシントンのナショナル・ギャラリーに勤務。作家であり、第二次世界大戦中の美術品の略奪と破壊に関する広範な研究で知られる歴史家である。『ヨーロッパの略奪――ナチス・ドイツ占領下における美術品の運命』(白水社、2002年)で全米批評家協会賞を受賞、1999年にフランスのレジオン・ドヌールを授与された。 [書籍情報]『[図説]ナチスに盗まれた美術品:フェルメール、レンブラント、ダ・ヴィンチ作品救出の記録』 著者:ジェームズ・J・ロリマー / 出版社:原書房 / 発売日:2024年06月25日 / ISBN:4562074248
原書房
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