東北で被災した方々の経験は宝であるべき――福島を支援してきたCANDLE JUNEが見た能登半島地震 #知り続ける
避難所での朝ご飯は、せんべい1枚と飲み物だけということもあった。それは、前日にJUNEたちが渡した支援物資だった。いち早く能登の状況を目の当たりにしたJUNEは、国による新たな機関の必要性を再認識したという。 「災害が起きたときにトップでオーガナイズできるプロがいないことが、ずっと問題だと思っていて。警察、消防、行政、社協とか、さまざまあれど、国が平時から防災に関する新たな機関を立ち上げて、各地域に根づいた半民半官の防災のプロを置いて、有事の際はそのプロたちがトップ系統をつかさどって、本当に必要な支援や物資について横連携をするようにしてほしい。今回は水の備蓄が足りないと感じた地域もあるんです。各地域で毛布やマット、水の備蓄をしたり、常日頃から避難所をどう運営するかを考えたり、避難所までの動線のハザードマップを作ったりするほうが、ある意味で日本の防衛じゃないかなと思っていて。全国の各市町村にブロック長を置いて、防衛費から何パーセントか回したほうが、国民を危険から守るという軸でいえば、よっぽどリアルな防衛じゃないかなって思うんです。災害時に民間の支援団体に頼りすぎているところもあって、もし今、甚大な被害が出る災害が能登以外でも発生した場合、明らかに手が足りなくなる程度の団体数なんです。しかも寄付母体なども多く、これほど過酷で危険な仕事をさせ続けることが正解なのだろうかといつも感じています」
東北からの炊き出しチームが増えている
JUNEが被災地支援活動を始めたのは、2004年の新潟県中越地震の際、新潟県に縁があったことがきっかけだった。2010年には、ハイチ地震の発生を受けて、MINMIや若旦那(湘南乃風)とともに支援プロジェクト「LOVE FOR HAITI」を開始。さらに東日本大震災を受けて、「LOVE FOR NIPPON」を立ち上げた。現在も毎月11日の月命日には必ず福島県を訪れる。そんなJUNEの目にも、能登の状況は厳しかった。 「3.11は、原発事故の風評被害も大きかったし、単純に能登と比べられないと思うんです。最近では熊本地震の被害が大きかったけど、周りから支援がいかようにでも行けた。でも、今回は石川県も富山県も被災していて、しかも能登に関しては動線が少なかったり、道路も細かったりするので」 「3.11以降、地震も水害も多数発生しているけど、どうしても3.11の悲惨さと比べてしまうところがあるのではないかと思っています。自分自身もそうだけど、国民全体としてもそんなところがあって、だから支援もあまり盛りあがらなかったり、風化速度も早くなったりしてきている。能登支援でもそんな雰囲気を感じています」