スミソニアン国立アジア美術館が見せる、日本の幽霊画
幽霊などの超自然的な存在は、日本の文化芸術史において大きな存在感を示している。江戸時代以降、死者の魂や幽霊を題材にした日本画や浮世絵が数多く制作され、幽霊画とも言われるこの独特の絵画様式は多くの人々を魅了してきた。 こうした木版画における幽霊の表現方法に注目した展覧会「超自然の上演:日本の版画における亡霊と舞台」が、米国・ワシントンDCのスミソニアン国立アジア美術館(NMAA)で開催されている。会期は10月6日まで。 日本国内では、幽霊をテーマにした浮世絵の展覧会がしばしば開催されるが、NMAAの展覧会は、能楽と歌舞伎という2つの伝統舞台芸能を取り巻く幽霊画の表現を探る世界初と言ってもいい展覧会だ。 本展では、「能楽」と「歌舞伎」の2セクションを設けている。それぞれのキュレーションを担当したのはフランク・フェルテンズ (日本美術担当キュレーター)とキット・ブルックス(国際交流基金、日本美術担当アシスタントキュレーター)。 展示作品は、主に同館に寄贈された3つの版画コレクションによって構成されている。「能楽」のセクションは、1971年に在アメリカ合衆国日本国大使館によって寄贈された約120点の版画コレクションと、2003年にロバート・O・ミュラー・コレクションから寄贈された約230点の版画を厳選して紹介。「歌舞伎」セクションの作品は、2021年にパール&シーモア・モスコウィッツ夫妻が寄贈した650点以上の日本の版画作品から選りすぐられている。 「能楽」セクションでは、明治時代から大正時代にかけて活躍した浮世絵師・月岡耕漁(1869~1927)の作品を通じて、能楽の様々な側面を考察する。キュレーターのフェルテンズは次のように述べる。 「耕漁が活躍した明治時代において、能楽は儀式的なものから、日本の政治家が要人を連れて行けるような、あるいはオペラのような劇場的な、一種の高尚な芸術へと再構築されつつあった。そして初めて、これらの版画を通して、観客は俳優が仮面をつけ、舞台裏で準備する様子を見ることができた」。 例えば、《能楽図絵二百五十番 朝顔》は舞台係がカーテンの陰から顔を覗かせながら、俳優が衣装を着る様子を描いたもの。耕漁はここで、能楽の主人公から幽玄さを取り除き、たんに衣装を着た人間として表現した。 また能楽には、幽霊や精霊に焦点を当てた演目が多くあり、なかでも女性の亡霊を描いたのが大きなカテゴリーのひとつだ。フェルテンズはこう続ける。 「近代以前の日本では、女性は男性に比べ、とても弱い存在だった。彼女たちの生活の大部分は家庭内中心で、政治的あるいは社会的な力はほとんどなかった。能楽においては、女性が虐待を受けたりすると、復讐の霊となって加害者に取り憑くというような描写がよくある。だから能楽は、こうした女性の生前に得られなかった正義を死後に主張するという代理権を与えるのだと思う」。 こうした女性の亡霊による復讐は、歌舞伎でも繰り返し登場するテーマのひとつ。1825年に初演された『東海道四谷怪談』はその好例だ。 本展では、毒を飲まされたお岩が髪を梳くと血まみれの塊が抜け落ちてしまうシーンや、お岩と小平の死体が戸板1枚の表裏に釘付けられている様子を、歌川国貞や国芳、広貞らが描いた作品が展示。とくに国貞の《東海道四谷怪談 隠亡堀 お岩》では、お岩と小平が入れ替わる「戸板返し」が版画に貼り付けられた仕掛け絵によって生き生きと再現されている。 本展の開催意図についてフェルテンズに尋ねると、彼は「当館のコレクションには幽霊に焦点を当てた作品がたくさんあるからだ。でも、幽霊に関する展覧会は10回やっても終わらない」とし、次のように答えた。 「能楽と歌舞伎はいつも別々のものとして扱われているが、とてもつながりが深いものだと思う。怪談は、このような異なる物語と技法を結びつけるための完璧な舞台を与えてくれる。この展覧会では、両方の劇場の独自性を保ちつつ、各セクションはとても異なっているように感じられるかもしれないが、テーマやコンセプトはじつは共通している」。 昨年創立100周年を迎えたNMAAには、1万5000点以上の日本美術を含む、中国、韓国、南アジア、東南アジア、中東などアジア全域の美術品4万6000点以上が収蔵されている。館内では、これらのコレクションを様々なテーマに沿って紹介する企画展がつねに多数開催されている。 日本美術の展覧会では、「超自然の上演」のほかに同じくフェルテンズがキュレーションした「想像の隣人:日本の中国観、1680-1980年」も行われており、江戸時代以降の日本の芸術家たちが、実在しつつも想像の場所でもあった中国といかに向き合っていたのかを探る。また、ソル・ユング(シャーリー・Z・ジョンソン日本美術担当アシスタントキュレーター)のキュレーションによる「際立つ形」展では、慈善家、同館の元理事であるシャーリー・Z・ジョンソンが10年にわたって収集した60点以上の日本伝統金工品のコレクションのなかから鍛金の作品17点を中心に紹介している。 同館の来館者の約6割は米国国内の鑑賞者だという。これらの展覧会は、米国の国民のみならず、ワシントンDCを訪れる世界各国の観光客に日本文化の様々な側面を知る機会を与えていると言える。フェルテンズはこう語っている。「来館者の多くが日本に馴染みがないため、これらの展覧会を通じて、日本が信じられないほど複雑で重層的な文化を持つ国だということを表現したい。木版画だけでなく、絵画でもなく、陶磁器でもない。もっと多くのものがある。私たちが望んでいるのは、様々な人々のために様々な体験を創造することなのだ」。
文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)