難航した救援 能登地震発生から2カ月、自衛隊が果たした役割は――派遣を担当する参事官が明かす
40キロの物資を担ぎ運ぶ 隊員の被災者生活支援
人命救助や道路啓開と並行して、自衛隊が担った役割が、被災者への生活支援だった。 「発災翌日からは、政府によるプッシュ型支援が始まりました。確実にこれは必要とされるだろう、という物資を金沢に集めました。金沢市内の石川県産業展示館という広い空間を物資拠点にして、フォークリフトを使って詰め込んだ荷物を空路と陸路で送り込みました」 産業展示館の外にはちょうどヘリコプターが下りられるスペースがあり、空路も用いた。それでも孤立集落に物資を届けるためのルートが徒歩しかない、というケースもあった。隊員は最大40キロの荷物を担いで、崩落した道や破損した道を歩いて物資を手渡しした。隊員たちは渡すと同時に、いま何が必要かというニーズを聞き、メモをとった。 「私たちは『ニーズ把握隊』と言っていましたが、被災者の方々のご用聞きをしました。赤ちゃんを育てているお母さんからは、『子どもにはこういうブランドのミルクを飲ませている』というところまで細かく聞きました。デリケートなこともあるので、女性に対しては女性の隊員が行くようにしました」 中には、定期的に訪れてくれる隊員との触れ合いを心待ちにしてくれる人もいたという。 一方、避難所では入浴支援や給食支援に力を入れた。 「元気を出してもらうには、やはり温かい食事が大切です。限られた食材を工夫して調理しています。カレーをつくりたいのに肉がないなら、イワシの缶詰で代用したり。また、入浴では隣にもう一つテントを張って、湯冷めしないようにした。そこでドライヤーも使ってもらい、その間にお子さんは部隊の隊員が遊んであげる、という被災者に寄り添った対応をしました」
迅速な対応は事前訓練や想定を重ねていたから
今回、人命救助をはじめ、道路啓開や生活支援など、迅速に対応することができたのは、事前に相応の訓練や想定を重ねていたからだという。 「2023年5月5日に能登で最大震度6強の地震があって、私も防衛省に駆けつけました。能登地域では、最近も群発的に地震が発生していたので注目しており、気象庁からもデータを取っていました。また、2023年6月26日から5日間、孤立エリアが発生する可能性のある被災地を想定した訓練もしていました。能登町や珠洲市が主催していた防災会議や訓練にも自衛隊は参加しており、オープンに開催していたので住民の間でも防災意識は高まっていたのではないかと思います」