難航した救援 能登地震発生から2カ月、自衛隊が果たした役割は――派遣を担当する参事官が明かす
ヘリコプターを活用する上で重要なのは、下りられる場所を確保することだった。公園や学校の校庭などのスポットは事前に調査していた。しかし、既に現地の車が駐車していたら使えない場合がある。実際に使えるかどうかは確認が必要で、救助する現場のすぐ近くにヘリコプターを止められるとは限らない。 能登半島付近の洋上では、輸送艦を海上基地として活用する「シーベーシング」を行い、ヘリコプターの拠点にもした。
「市街地では家屋の1階部分が完全に崩壊し、2階部分と屋根が残っている状態の家屋がたくさんありました。その倒壊した家屋から救助活動をしました。災害救助犬もすごく活躍してくれました。また、山間部の孤立集落には人海戦術で入っていって担架に乗せて救助しました。それこそ『道なき道』を歩いていく現場もありました。救助活動を行う隊員にはもちろん、男性も女性もいます」
水が流れ込んだトンネルの啓開作業
それと同時に道路啓開にも組織力を発揮した。陸上自衛隊は、国交省等とも連携して発災翌日から3日未明にかけて輪島市内に通じる県道1号の土砂等を除去し、開通させた。一方、海上自衛隊は1月4日に海岸から重機を上陸させた。海岸には非常に狭いものの砂浜があったため、そこからエアクッション艇により陸上自衛隊の重機を上陸させ、内側からも道路啓開を進めた。1月10日早朝には珠洲市に通じる県道6号の通行も可能にするなど、国交省等と連携し、そこからくしの歯状に復旧を進めていき、主要な幹線道路の通行を確保していった。 「3日目ぐらいから日に日に使える道路が増えていきました。毛細血管が広がって、血が流れていくように道路網が広がっていきました」 こうして、自衛隊は約1040人を救助した。 特に発災当初の1月8日までに救助した約480人のうち、約64%は空路によるものだった。2016年熊本地震のときには救助した約1280人のうち空路は約7%。比較すると、能登での救助活動が特殊な状況にあったことがわかる。