難航した救援 能登地震発生から2カ月、自衛隊が果たした役割は――派遣を担当する参事官が明かす
東日本大震災では太平洋側の岩手、宮城、福島を中心に甚大な被害を受けたが、日本海側から被災地へ入っていくことができた。熊本地震の場合は、九州の真ん中ということで周辺県からアクセスできた。それに対して、能登半島では「陸路でのアクセスは困難」という特殊な事情が発生したのである。
発災から自衛隊投入まで 基本方針は「ヘリコプターの活用」
地形も救助活動に影響した。能登半島は日本の中でも特殊な地理的特徴を持つエリアだ。 「山地と丘陵地が多くを占めています。複雑な形状の山間部があり、とがった感じの山がたくさんある。海岸沿いに段丘が発達していて、断崖が多く、ビーチはほとんどない。また、富山湾側はリアス海岸になっている。そうした地形的特徴に加えて、輪島市や珠洲市の平地にはある程度の市街地があるが、それ以外にも孤立集落があったり、山奥に一軒だけ家があったりと点在しています」
町のあちこちで地盤沈下や舗装のひび割れ、擁壁の崩落などが見られ、「空中機動力の集中運用」という基本方針が決まるのには時間がかからなかった。 「自衛隊は発災当初から『ヘリコプターを集中的に使っていく』というオペレーションを考えました。それと並行して、道路啓開と言って、寸断されている道路を応急的に修復し、車が通れるようにする作業にも注力しました。投入できるヘリコプターの数は限られるため、陸路の確保が重要です。狭いエリアにヘリコプターが密集すると、衝突などの二次被害が生じる可能性があるためです」
到着後から1週間 約64%は空路で救助
ヘリコプターで自衛隊が到着して、最初に行うべきは現地の状況把握だった。どのエリアにどれだけの集落があるのか、そこには誰がいて誰がいないのか。隊員たちはそれぞれの地区に入り、一つひとつ被害状況を把握しマッピングしていった。正月のため、別の場所に行っている人もいれば、逆に子どもの一家が帰省していた人もいた。 「発災直後、ヘリコプターで現地に入った隊員は基本的には情報収集を行います。しかし、当然ながら人命救助も行うし、避難したいという方を避難所に連れていくこともある。生存していても水と食料がなければ生きていけないので、物資を届ける生活支援も急務です」