NHK『歴史探偵』がスルーして“批判が殺到”した宮沢賢治の「ディープすぎる宗教問題」 はげしい勧誘活動が父やカムパネルラのモデルとの関係をこじらせた
11月に放送されたNHKの歴史教養番組『歴史探偵』の「宮沢賢治と銀河鉄道の夜」回。この放送については、賢治の作品に大きく関わっている宗教的なファクターに一切触れなかったことで、SNS上で批判が集まった(なお、同時期に放送されたNHK「こころの時代」では宗教を切り口に作品を読み解いている)。今回は、賢治の禁欲・父との対立・『銀河鉄道の夜』などの作品の背景にあった彼の日蓮宗信仰について見ていこう。 ■性欲を発散するために牧場を歩き回った「異常な禁欲生活」の背景 NHKの歴史番組『歴史探偵』の「宮沢賢治と銀河鉄道の夜」の回は、有名声優を朗読役として起用するほどに力を入れたはずの賢治の詩『永訣の朝』の解釈をめぐり、炎上していました。 さらに、賢治の名作童話『銀河鉄道の夜』の成立のきっかけとなった宗教問題についてもなぜか完全スルーしており、これについても批判が殺到したようですね。今回は、宮沢賢治のディープな宗教問題について語ってみようと思います。 宮沢賢治の人生、そしてその作品について、宗教のファクターなしで理解することはできないと筆者も考えます。とはいえ、現代日本において、宗教について語ることは暗黙の了解でタブー視されがちといえるのではないでしょうか。 拙著『こじらせ文学史』でも、猛烈な性欲の発作に駆られた宮沢賢治が、その解消のために一晩中かけ、街から郊外の牧場まではるばる歩いていって、また街まで戻ってきて、顔を紅潮させながら「性欲の苦しみはなみたいていではありませんね」と知人に語りかけた一幕を、賢治の「こじらせエピソード」として紹介しました(関登久也『宮沢賢治素描』)。 しかし、この凡人には理解しがたいまでの禁欲の背景にあるものも、実は宗教――賢治が傾倒していた日蓮宗、あるいは日蓮宗系宗教団体・国柱会が説いた禁欲主義の反映なのですね。 ■功利主義的な父に反発し、日蓮宗に改宗 もともと宮沢賢治の父・政次郎は日蓮宗ではなく、浄土真宗の熱心な信者でした。賢治も浄土真宗の信仰にどっぷり漬かって成長したという意味で「宗教二世」なのですが、功利主義的なビジネスマンである父親の生き様に賢治は反感を覚えるようになり、信仰を通じ、社会・国家をよりよい方向に変えていこうという社会改革系の意識が強い日蓮宗に改宗したのです。 大人になっても生活能力が低い賢治にとって、父親はパトロンなのですが、その父にも日蓮宗に改宗するように迫り、宗教論争をふっかけるようになりました。こういうあたりは、テレビ番組としては取り上げにくいという判断が『歴史探偵』ではくだされたのでしょうね。 ■他宗派を論破して信者に引き込む「折伏(しゃくぶく)」活動 シャイだった宮沢賢治が日蓮宗の信仰を得て、いきなりイキリ散らかすようになったのではありません。日蓮宗自体が他宗派と論争し、それに打ち勝ち、相手を信者に引き込む「折伏(しゃくぶく)」の活動を重視してきた歴史的経緯があるのです。 賢治がなぜ伝統的な日蓮宗ではなく、国柱会という宗教団体に帰依するようになったかは、史料上、明らかではありません。ゆえにこれは筆者の想像ですが、当時の国柱会は、新たに入信した者に恋人、家族、親しい友人などを「折伏」し、信仰に引き込みなさいというタスクを与えており、それが賢治にはむしろ魅力的に思えたのではないでしょうか。 賢治と同時期に国柱会に入信した中には、のちに「満州事変」を指導したカリスマ軍人・石原莞爾(いしわら・かんじ)などの名前も見られるのですが、石原も妻を「折伏」し、国柱会の信者にできたときには手放しで喜んでいます(山下聖美『賢治文学「呪い」の構造』)。 しかし、賢治がもっとも熱心に勧誘したのは、父親ではありませんでした。