イランの地下世界で「隠れキリシタン」が増える意外な真相…!いま若者たちが「イスラムをやめるワケ」
イスラエルへのミサイル攻撃の茶番
――そうした中で我々日本人は、今のイランや中東情勢をどのように見ていけば良いのでしょうか。 まず、日本人が踏まえるべきは、イラン政府とイラン国民は違うということを認識することです。特に近年のイランでは政府と国民は分けて考えなければならない。 先日イランはイスラエルに対して報復攻撃を行いました。日本から見れば、本格的な戦争に発展しかねないと映るでしょうが、多くのイラン人は一連の流れを「イランとイスラエル両政府による茶番」だとみています。 今回イラン側からの報復を見ると、ドローンやミサイルの数は多かったもののあらかじめ周辺各国に通知していて、迎撃できるようにしていたように見えます。狙った場所も人がいる住宅地や大都市ではありませんでしたしね。 イスラエルの反撃がありましたが、多くのイラン人の予想通り限定的なものでした。ただし、経済事情はこの攻撃で悪化しました。攻撃後、イランの通貨は一時1ドル70万リヤルにまで跳ね上がりました。その結果輸入品の値段が軒並み高騰しています。ますます生活が苦しくなっている。 イランに住んでいる友人たちからは「国内の経済はメチャクチャだ。希望が見えない中で戦争なのか……」と、やり場のない怒りの声が届きました。イランの人々の不満はきびしい経済状況にあるのです。 この不満を抑え込もうと、国内の締め付けがさらに強くなる恐れもある。実際、スカーフの取り締まりを行う風紀警察がまた活動を始めました。 イランの外患に付随して国内で起こる様々な問題に、注意を払うべきでしょう。 ――こうしてみてくると、イランには、宗教と世俗、内憂外患の様々な対立軸があるようです。政治に対する不満は万国共通でも、政教一致の国ならではの不満に加えて、長い歴史があるだけに悪しきナショナリズムの台頭を招く恐れもある。イランが仮に民主化するとしても、どのような国になるのか想像がつきませんね。 その通りです。鮮明な社会的な対立軸が、将来どのような結末をもたらすのか、私にもいまだにわからない。 イランはいわば壮大な実験場のような国です。 古い親子像や家庭像がどのように変わるのか。宗教国家がどのように世俗化していくのか。仮に民主主義が起こるとしたら、立憲君主制になるのか、世俗的共和制になるのか、イスラムを掲げながらの民主化になるのか、様々な可能性があるからです。