イランの地下世界で「隠れキリシタン」が増える意外な真相…!いま若者たちが「イスラムをやめるワケ」
空回りする「カリスマ待望論」
――若者たちは、イスラムへの反発が日増しに大きくなって、それに対して精神的なよりどころを求めているということでしょうか。日本では、5~6年ほど前に、格差社会や賃金の低下が言われるようになると、庶民の味方だった元首相の田中角栄の本がにわかに売れるようになったりしました。イランでも似たような現象があるそうですね。 そうなんです。イランには、若者に限らず政治的なカリスマを異様にありがたがる風潮があるのです。最近では、イスラム疲れからイスラム革命前の王政復古の声があがり、そのパフラヴィー朝の後継者でアメリカに住むレザー・パフラヴィーをカリスマとして捉える人も出てきています。 イランでカリスマと呼ばれた政治家はみんな独裁政治を行ったのですが……。こう考えてみると、イラン人のカリスマ好きは徹底しているのかもしれません。 イランは、イスラムの非主流派であるシーア派を国教としています。スンナ派共同体の指導者をカリフといいますが、シーア派のそれはイマームと呼ばれています。1000年以上も前の初代イマームのアリー(西暦? ~661)やその息子の第3代イマームのホセイン(同626~680)が篤い信仰を集めている。しかし、それはある意味では個人崇拝的です。 その点はスンナ派が攻撃するところでもあるのですが、そこに「イスラム疲れ」に悩む若者たちも便乗して問題視しています。そうした若者は、スンナ派のようにコーランに直接あたり、真理を追い求めることに共感を抱いたりしている。 実際に何人かのイラン人の友人と、スンナ派の人たちが暮らす辺境のコルデスターンやスィースターン・バルーチェスターンに行ったとき、彼らは「スンナ派のモスクの方に親しみを感じる」と言いました。 体制嫌いのために新たなカリスマを求める人たちといい、国教のシーア派よりもスンナ派を求める若者といい、イランのイスラム共和国による体制はどんどん内部崩壊しているような印象をうけます。 ただし、仮に再び革命が起きてイスラム体制が倒されたとしても、それが良い選択になるかは疑問ですね。 それはペルシャナショナリズムが焚きつけられた結果かもしれないからです。 イランには「大ペルシャ主義」とでも呼べる思想がありますが、この思想によるイランとは、タジキスタンやアフガニスタン、究極的にはインドからエジプトあたりまでを指しています。 たとえば、ペルシャナショナリズムが刺激されすぎると、イスラム共和国の後継体制は、ロシアのプーチン政権のような著しく民族主義的、排他的かつ好戦的な体制となる危険性もなくはありません。