世界遺産「ペトラ遺跡」を襲う洪水や干ばつ、古代の治水復活で救えるか、「天才的」と識者
『インディ・ジョーンズ』に登場した2000年前の古代都市、ナバテア人の知恵を活用、ヨルダン
ヨルダン南部の街ワディ・ムーサで少年時代を過ごしたモハマド・アルファラジャト氏が、かつて父親から聞かされた話によると、昔このあたりの砂漠の峡谷には緑の小麦が揺れる段々畑が広がり、実り豊かなアプリコットの果樹園やイチジクの木が、地元の人々のお腹を満たしていたという。 【関連画像】「天才的」な治水技術、ナバテア王国の時代から2000年以上も使われ続ける水源 現在、ヨルダンのマアーン近郊にあるアル・フセイン・ビン・タラール大学の地質学者となったアルファラジャト氏は、そうした恵みの痕跡は今ではほとんど残っていないと語る。乾燥した時期が長くなるにつれ、父親やその前の世代を養ってきた畑を維持するのは困難になっていった。 「40年前に気候変動が始まると、肥沃なエリアは徐々に狭くなっていきました」と氏は言う。「以前は自給自足で暮らしていたワディ・ムーサの人々も、今ではほぼすべてのものを外部からの輸入に頼っています」 干ばつによって地域の農業が不安定さを増す中、同じく気候変動が原因で頻発するようになった鉄砲水が、一帯にある古代遺跡と地域社会の両方に危険を及ぼしている。また、極端な気温の変化は、ローマ帝国全盛期に造られた歴史ある砂岩のファサードの風化を加速させている。 「ワディ・ムーサにおける気候変動の影響は明らかです」とアルファラジャト氏は言う。 ワディ・ムーサはまた、氏が少年だったころとは別の意味でも変化している。1980年代以降、この街の近郊にあるペトラ遺跡は、世界的な観光スポットとなった。毎年100万人近い人々がペトラを訪れ、約2000年前にナバテア文明によって砂岩に刻まれた墓や神殿に驚嘆の声を上げる。鉄砲水の脅威はこの場所にも及んでおり、ペトラ遺跡がダメージを受ければ、地域の人々が大きく依存してきた観光ビジネスも危険にさらされることになる。 今後数十年にわたって遺跡を保護するうえで、ペトラの管理者たちが注目しているのが、かつてこの砂漠の前哨基地を築いた人々が残した古代の技術だ。