上野千鶴子さん【二拠点生活】大切な人を看取って今思う、終の棲家とは
思い切って購入した土地に家を建てたのは別の人?
こうして八ヶ岳南麓に土地を買ったものの「完全に山林の状態だったので、伐採・抜根(ばっこん)して整地しないと家を建てられないし、上下水道がないから井戸を掘って浄化槽を作らないと住めない。インフラの整備に予想以上の手間とお金がかかりました」と上野さん。 さらに予想外だったのは、古くからの友人で当時70歳だった歴史家の色川大吉(いろかわ・だいきち)さんが、上野さんの土地に先に家を建てたことでした。 「びっくりしましたよ。建築確認書を見せてもらったら、土地の地番地号を書く欄はあるのに、所有者名を書く欄がない。私は土地をハイジャックされたんです(笑)。色川さんは住民票も移されて八ヶ岳で暮らし始めました。 私が『土地代を払ってもらっていない』と言ったら、『僕も管理人代を払ってもらっていない』と言われて。愉快な人でしたね。その後、色川邸の隣に私の仕事場を建てました」 以来20年余り、上野さんは山の家と東京を行ったり来たりする二拠点生活に。一方、色川さんは八ヶ岳でおひとりさまの暮らしを楽しんでいました。
友人の在宅介護を通して感じた、幸せな時間
そんな八ヶ岳での隣人同士の生活に変化が生じたのは2016年。 90代になっていた色川さんが家の中で転倒して大腿骨を骨折。手術をすすめられるも「病院に行きたくない」と拒み、在宅療養することに。さらに18年、再び骨折して車いす生活になったのです。 「色川さんはおひとりさまでしたから、私が介護のキーパーソンになりました。目の前でヨタッていく年寄りを見捨てられませんよ」と上野さん。色川邸の大きな窓のあるリビングに介護ベッドを入れ、「このまま山の家にいたい」という色川さんを支えました。 「ちょうどその頃、訪問看護師のパイオニアである宮崎和加子(みやざき・わかこ)さんが、医師の夫とともに八ヶ岳南麓に移住してきて、訪問介護と訪問看護を行う事業所を立ち上げられたんです。色川さんはその利用者第1号になりました。 宮崎さんたちは定期巡回随時対応型短時間訪問看護介護という素晴らしいサービスをやっておられて、1回15分ですが、朝昼晩と1日3回訪問してくださる。これなら“在宅おひとりさまで最期まで”も十分可能だと思いました」 コロナ禍になると、上野さんはほぼ山の家に定住し、色川さんの療養生活を見守りました。 「私はキーパーソンなので、ケアマネジャーさんなどから『どうしますか』と聞かれましたが、そのつど『ご本人に聞いてください』と言ってきました。色川さんは頭はしっかりしておられて嫌なことは嫌とおっしゃったから、その意思を尊重しました」