<箱根駅伝>青学の山の神「神野」はいかにして復活を遂げたか?
一時は諦めかけた。 「今回の箱根は無理かもしれない」。11月中旬、神野大地は厳しい現実を親に告げた。だが、残り1カ月半で奇跡的な復活を遂げることになる。2016年1月2日。前年のヒーローは、再び「山の神」として箱根路に舞い降りたのだ。 第93回箱根駅伝は、連覇を目指す青学大が1区からトップを独走した。そして、5区の神野にフレッシュグリーンのタスキが届く。2位の東洋大とは2分28秒、4位の駒大とは3分59秒のアドバンテージ。しかし、両校とも5区には1時間19分台を狙えるクライマーを配置しており、青学大を猛追する準備は整っていた。 「前回は46秒差の2位でタスキをもらって、自分が抜いて、自分が引き離すという駅伝の一番おもしろい部分を感じることができたんですけど、今回は7キロぐらいからずっと苦しくて。でも、ゴールには久保田(和真)や小椋(裕介)たちが待っている。彼らの笑顔だけを思い描きながら、あきらめずに最後まで走りました」 過去最速タイムの1時間16分15秒を刻み、後続に4分59秒という大差をつけた1年前と神野の状態はまったく違っていた。今季は2月に左脚大腿骨を疲労骨折、6月には右スネの疲労骨折が判明。8月6日から走り始めて、その後は順調にトレーニングを消化するも、アンカーに起用された全日本大学駅伝は失速する。8区19.7キロを59分45秒の区間8位。1年前と比べてジャスト1分悪かった。 「全日本まではある程度、自信があったんです。ケガをしても、その間にいろいろなトレーニングをやってきたので、大丈夫だろう、と。でも、全日本でその自信が一気に崩壊しましたね。『おまえは天才肌じゃないんだから、もっと練習しろ』と陸上の神様に言われたような気がして。そのとき、自分は誰よりも泥臭く練習をして、やっとエース級の選手たちと戦えたことを思い出したんです」 神野は周囲から「山の神」と呼ばれて、素直にうれしかったという。同時に、「山の神」の“呪縛”も感じていた。「重圧もあったんです。周囲の期待に応えないと、という思いが強くなって、ココロとカラダがかみ合わない状況でした」と振り返る。そして、全日本大学駅伝後に左スネを痛めて、窮地に追い込まれた。