<箱根駅伝>青学の山の神「神野」はいかにして復活を遂げたか?
「一番落ち込んだのは11月中旬ですね。全日本が終わって、またケガをしてしまい、すぐに治るだろうと思っていたのに、時間がかかった。一時は良くなる見込みが全然なくて、諦めの気持ちが強くなったんです。でも、監督だけは諦めていなくて。『山なら適性があるんだから絶対にいける。12月に練習を再開できれば走れるから』と言っていただきました。監督の言葉を信じて、最後までやろうという気持ちになったんです。 箱根駅伝にかけられる時間は、1カ月ちょっとしかなかったですけど、後悔のない努力をしようと思って取り組んだら、12月に入って、それなりの練習ができるようになったんです。完全に痛みがなくなったのは、12月20日頃でした。ギリギリの状態でしたけど、どうにか間に合ったんです」 原晋監督が神野に与えたミッションは「1時間20分」というタイムだった。区間記録(1時間16分15秒)を樹立した前回と比べると物足りないが、1時間20分切りは、過去に15人しか突入していない好タイム。神野の状態を考えると簡単ではなかった。しかし、神野は序盤から攻め込み、苦しそうな顔を見せながらも、着々と歩を進めていく。 17キロ付近では腹痛に襲われ、山頂付近では強風にカラダを揺さぶられた。ようやく表情が緩んだのは、20キロの給水地点だ。チームメイトの伊藤弘毅からドリンクを受け取ったときに、初めて笑顔を見せると、左手で小さくガッツポーズをつくった。 「弘毅は寮長としてチームをまとめてくれたんです。力はあるんですけど、駅伝シーズン前に故障をしてしまって、悔しい思いをしていました。弘毅の分まで走ろうという気持ちだったんです。前日に『必ず笑顔で給水しよう』というメールをもらっていたので、きつかったんですけど、どうにか笑顔をつくりました」 笑顔が戻った神野の走りは軽やかだった。1時間19秒17秒の好タイムで5区を走り切り、2年連続となる歓喜のゴールへ。好走した東洋大・五郎谷俊、全日本8区で1分06秒も負けた駒大・大塚祥平を寄せ付けなかった。今年も「山の神」として降臨した。 「振り返ると、本当に苦しい1年でした。箱根で良かった分、周囲の期待に応えようという気持ちが強くて、その焦りがケガを生んでしまうという負の連鎖でしたね。5区は80分ぐらいで終わる。1年間の苦しみに比べれば、たかが80分ぐらいの我慢はなんともありませんでした」