慶應ボーイの学生監督が率いる慶應志木 来る夏は「現役の時よりも緊張するかもしれません」
春の埼玉県大会地区予選。東西南北の4地区に分かれて県大会を目指すなかでも、南部地区は実力校が多い地区で知られている。 特にプロ注目・冨士大和を擁する大宮東は今年注目されたが、地区予選で姿を消した。この結果は当時大きな話題となったが、そんなビッグニュースを巻き起こしたチームこそ、慶應志木である。 【トーナメント表】夏の埼玉県大会組み合わせ その後の県大会でも細田学園に勝利して2回戦進出。2回戦で川越東には敗れたが、シード権獲得まであと一歩と迫った。 夏も注目されることは間違いないが、そんなチームを率いるのは、若すぎる監督の存在がある。
恩師の言葉を胸に学生監督へ
「基本的な腕立て伏せ、腹筋もほとんどできないくらい体力のない選手たちでした」 そう新チーム発足時のことを語るのは、石塚大起監督だ。 石塚監督は、慶應義塾大に通っている大学2年生で、取材時はまだ19歳の学生監督だった。 普段は神奈川にある日吉キャンパスで講義を受けている学生で、慶應志木を昨年2023年3月に卒業したOBでもある。現在の3年生が入学した際は、石塚監督はまだ高校球児としてプレーしていたのだ。 当時を知る永島康太朗主将も「(当時から)打撃チーフとして、チームをまとめて引っ張ってくださいました」と振り返る。高校時代から、周りを巻き込んで、引っ張っていく指揮官の片鱗はあった。
学生監督としてチームを見るようになったのは、永島主将たちの世代がスタートしてから。それまではOBとして、コーチという立ち位置で指導にあたっていたが、石塚監督のなかでは、悩み抜いた末の判断だったという。 「元々、大学でも野球はプレーヤーとして継続するつもりでやっていました。周りの選手との差を感じながら頑張っていたところで、柴田監督から『コーチやらないか』って声をかけてもらったんです。 その時までは自分は選手として続けたい気持ちがありましたし、仮に選手が難しくても、マネージャーでもいいから携わりたいと考えていたんです。でも、柴田監督に声をかけてもらって、『柴田監督のためにやろう』と思ってコーチになることを決心しました」 こうして、石塚監督はまずコーチとして、母校の後輩たちの指導をスタート。週に数回コーチとしてグラウンドに足を運ぶようになった。そうして迎えた2023年の夏。大会前から、じわじわと石塚監督のなかでも、監督就任への思いが沸いてきた。 柴田前監督が定年で退任されることが決まっており、石塚監督のなかでも「おそらく自分が新チームを指揮するかもしれない」と覚悟は決まっていた。