事務総局の方針に意見を述べただけで「不利な人事」…良識派ほど上に行けない、裁判所の腐りきった「実態」
出世できない裁判官とは
そのような裁判官の姿勢から、困難な法律判断の回避や和解の強要といった日本の民事裁判特有の問題、あるいは、令状、ことに勾留状の甘過ぎる発布や検察官追随姿勢が生み出す冤罪等の日本の刑事裁判特有の問題が生じてくるのは、あまりにも当然の結果である。 「太平洋戦争になだれ込んでいったときの日本について、数年のうちにリベラルな人々が何となく姿を消していき、全体としてみるみるうちに腐っていったという話を聞きます。国レヴェルでもそうなのですから、裁判所という組織が全体として腐っていくのは、よりありうることだろうと思います」 というある学者のコメントが、2000年代以降の裁判所の状況を的確に表現しているように思われる。 現在の人事の状況についてある程度具体的に論じてみたい。まず、多少なりとも個性的な裁判官、自分の考え方をもちそれを主張する裁判官、研究を行っている裁判官は、高裁長官にはなれない(高裁長官は全国に8名。最高裁判事に次ぐポストである)。たとえ、上昇志向が強く、大筋では裁判所組織の要請に従い、むしろそれを主導してきたような人物であってさえもである。具体的な人選をみていると、そのことが非常によくわかる。 判決や論文等でそれなりの(つまり、最高裁が暗黙の内に公認している方向とは異なった)意見を表明してきたような人物であると、それ以前に、たとえば所長になるのが同期のほかの人間より何年も遅れ、一つの期について相当数存在する所長候補者の間で最後に回される、あるいは所長候補者から外されるなどの形で不利益を被ることになる。
自らの意見を述べるだけで不利な扱い
また、同等のレヴェルのポストにある人物について露骨に差を付けるといった、過去にはあまりみられなかった不自然な人事もある。私のよく知っているある期(司法研修所修了の「期」)の東京地裁民事と刑事の所長代行に関する人事を例にして説明しよう。一方は裁判官としての実績があり弁護士からもかなり評価されている人物、一方は追随姿勢で取り立てられた中身に乏しい人物であった。 ところが、最高裁判所事務総局に対しても自分なりの意見を述べていた前者が遠方の所長に、後者が東京近辺の所長に、それぞれ異動になったのである。この人事については、民事訴訟法学者の間からさえ奇妙だという声が聞かれた。これは一種の見せしめ人事なのであるが、「事務総局の方針に意見など述べず黙って服従しないとこうなるぞ」という脅しの効果は絶大である。なお、「事務総局に逆らうと」といったレヴェルの問題ではないことに注意していただきたい。先の人物も、ただ、「自分の意見を述べた」だけであり、ことさらに逆らってなどいない。 私は、現在の裁判所は一種の柔構造全体主義体制、日本列島に点々と散らばる「精神的な収容所群島」(なお、『収容所群島』は、旧ソ連の作家ソルジェニーツィンによる、強制収容所に関するドキュメント、ノンフィクションのタイトル)となっていると考えるが、その一つの現れがこうした事態である。自由主義、個人主義、個人の意見、創造的な研究、飾り物の域を超える教養、もっといえば、事務総局に対して単に意見を述べること、「そうした事柄自体がけしからん。そういう奴らが憎い」というところまで落ちてしまっているのである。 それでは、裁判所における上層部人事のあり方全般はどうであったか? 私の知る限り、やはり、良識派は、ほとんどが地家裁所長、高裁裁判長止まりであり、高裁長官になる人はごくわずか、絶対に事務総長にはならない(最高裁判所事務総局のトップであるこのポストは、最高裁長官の言うことなら何でも聴く、その靴の裏でも舐めるといった骨の髄からの司法官僚、役人でなければ、到底務まらない)し、最高裁判事になる人は稀有、ということで間違いがないと思う。 そんなことはないだろうと思う方は、もしも弁護士や学者のように裁判官の知り合いがいる人であれば、自分の一番信頼している裁判官や元裁判官を選んで、「本当のところどうなんですか?私を信頼して教えて下さいませんか?」と尋ねてみるといい。大筋同様の答えが返ってくるのではないかと思う。 『人間味のある人物はたったの「5%」…最高裁判事たちの知られざる「人物像」に迫る』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)