人命救助で話題の“医師兼アイドル”を直撃。ファンから「お医者さん姿も尊い」というコメントも
アイドルを目指したきっかけは…
――いつくらいからアイドルになりたいと考えていたんですか? 北村:生の舞台から感動や元気を届けたり、そのかけがえのない時間や空間を共有することに対する憧れは昔からありました。思い出すのは、小学生のときに経験した“全校表現”という催しです。運動会のときに全校生徒でダンスをするという、勝負事ではない唯一の楽しい種目でした。運動会までの期間、そのダンスを先輩たちがたくさん教えてくれるのですが、当時小学校1年生だった私がひときわ憧れたのは、ある6年生の先輩でした。朝礼台の上で踊るその先輩はとてもキラキラしていて、そこはもう舞台のように見えて私にとってのスターでした。結局、先輩に話し掛けて住所を教えてもらい、中高生になるくらいまで年賀状のやり取りを続けていました(笑)。 その後、自分が小6になったときに演劇部を立ち上げました。中高時代は部活動でミュージカルに打ち込むなど、舞台という場所に魅了されっぱなしの人生です。NEOアラモードのオーディションを受けたのも、観客として感動をもらった宝塚歌劇団の元団員である千幸さんにプロデュースしていただけるという理由が大きいです。同じことが2度は起きないライブの迫力に、毎回感動するんです。
「両親を納得させられる自分になろう」と誓った
――医師とアイドル、どちらも極めて難しい職業ですが、二兎とも追うと決めたときの周囲の反応はどうでしたか? 北村:中高時代、迷っていた時期がありました。両親には「医療の道は諦めて、芸能だけを目指そうかな」と相談したことがあります。強く反対されました。私は自分が情けなくて悔しくて、仕方ありませんでした。一番身近で私を見て応援してくれた両親に、「この子なら頑張れる」と思わせることができなかったんです。 それから、学業も舞台も精進することによって、両親を納得させられる自分になろうと誓いました。嬉しいことに、現在では毎月ライブに足を運んでくれています。また、友人には「アイドルになりたい」と率直に打ち明けていました。やりたいことには何でも挑戦してしまう私の性格をよく知っているので、「どうせ実現させるまで頑張るんでしょ」と呆れ半分で、でも応援してくれています。友人もよくライブに来てくれるので、とても嬉しいですね。