ラグビー元日本代表・田中史朗が「最後のワールドカップ」で南アに完敗、その夜に流した「幸せの涙」
「こうやって、このメンバーが一堂に会するのもこれが最後やと思ったら、またたまらんようになってしまって。そら、このあと、なんかの席で集まることはあるかもしれない。でも、きっと誰か、来れへん奴っているんですよ。選手、スタッフ、全員揃うのは、たぶん、これが最後。そう思って、ずっと泣いてました」 もっとも、彼は泣いていただけではなかった。 「泣きながら、ではあったんですけど、ちゃんと31名全員のサインをジャージにもらいました」 田中が新たに手にした“宝物”をバッグにしまい、久しぶりの家路についたころ、日本ラグビー協会は12月11日にパレードを行なう旨を発表していた。 このメンバーが揃うのはこれが最後――田中の予感は当たっていた。12月11日、東京ステーションホテルのロビーにいた日本代表の選手は、31名ではなかった。 何人かの外国人選手は、長く離れていた故郷へと帰国していたのである。 12月11日の正午になった。予定通り、パレードは始まった。 大観衆の前に姿を現した日本代表の選手たちは、おしなべて皆、笑顔だった。大会期間中、すっかり「笑わない男」としてのキャラが浸透してしまった稲垣啓太でさえ、相好を崩さずにいるのに苦労しているようだった。
田中は、完全に号泣していた。 少しでも多くの人に選手1人ひとりの表情、姿を観衆に見てもらうべく、選手たちは4つの班に分かれて仲通りを歩くことになっていた。 ● 田中だけは何回も何回も 律儀に頭を下げた 3班に振り分けられた田中が歩き始めたのは、1班のリーチマイケルたちがスタートして5分ほど経ったころだっただろうか。班の先頭に立った田中の頭を、後ろにいた田村優が軽く叩いた。なあに泣いてるんですか、とでも言いたげなツッコミだった。 ひょっとすると、田村としては何らかのリアクションを期待しての行為だったかもしれない。だとしたら、期待は裏切られた。なにすんねん、でも、イタタ、でもなく、田中は肩を震わせるだけだったからである。 パレードには、ありがとうが満ちていた。かけられる言葉だけではなく、わざわざこの日のために用意してくれたと思しき横断幕には、「ラグビーを好きにしてくれてありがとう」とのメッセージが書かれたものもあった。 嬉しすぎて、幸せすぎて、田中は泣いた。涙をこらえようとする努力は、まったくもって無意味なものになっていた。ほとんどの選手が歓声に手をあげて応えるなか、田中だけは声の聞こえてきた方向に、何回も何回も、律儀に頭を下げた。