ラグビー元日本代表・田中史朗が「最後のワールドカップ」で南アに完敗、その夜に流した「幸せの涙」
日本で初開催となった「ラグビーワールドカップ2019」。日本は初めて決勝トーナメント進出を果たすも、南アフリカに完敗。当時34歳のベテラン・田中史朗にとっての最後のワールドカップは悔しい幕切れとなった。「いま、どんな思いですか?」インタビュアーの問いかけに、溢れた田中の思いとは。本稿は、金子達仁『田中史朗 こぼした涙の物語』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 最後の試合が終わった瞬間 流したことのない“別れの涙”が ラグビーに限らず、どんなスポーツであっても、負けた試合には「ああしておけば良かった」もしくは「そこでミスがなければ」といった悔いが残りがちである。 だが、南アフリカ戦を終えた田中の頭に、一切の「たられば」は浮かんでこなかった。 「スクラムであったりモールであったり、彼らは徹底して自分たちの強みを生かすラグビーをやってきた。日本も頑張ってはいたんですけど、やっぱり、南アフリカに比べれば小さくて軽い。耐えて、耐えて、でも結局は崩される。しかも、彼らはまるで日本をみくびってなかった。完敗、としか言いようのない試合でした」 試合が行なわれた2019年10月20日は、長く日本ラグビーを牽引した平尾誠二の命日だった。田中の娘がこの世に生を受けたのも、10月20日だった。伏見工の後輩として、娘の父親として、最高の雰囲気、最高の流れが田中の前には用意されていた。 それでも、南アフリカには歯が立たなかった。3-26の完敗だった。 田中にとって、最後のワールドカップは終わった。
「試合後の記者会見では“まだまだ頑張ります”とか言ったんですけど、自分の中ではわかってました。ああ、これが最後のワールドカップ、最後の日本代表やなって。負けた。ベスト4、行けへんかった。悔しい。でも、正直、達成感もありました」 タイムアップの瞬間、それまでに流したことのない涙が、田中の頬を伝わった。 別れの涙、だった。 自分が、ワールドカップの舞台に立つことは、おそらく2度とない。さらば、ワールドカップ。 自分が、桜のジャージに袖を通すことも、おそらく2度とない。さらば、ジャパン。 数えきれないほどの時間、寝食を共にし、地獄を潜り抜けた31名の仲間が、再び同じチームのメンバーとして戦うことは、2度と、ない。さらば、友よ。 ● 「笑わない男」稲垣啓太も 笑顔を抑えるのに苦労して ピッチに横たわって東京の夜空を見上げながら、田中はしばし、感情の奔流に身を委ねた。その夜、宿舎は大変な騒ぎになった――はずだった。 「あんまり記憶が残ってないんですけど、まあ、めっちゃ呑んだと思います」 別れの朝がやってきた。 呑み明かし、語り尽くしたはずなのに、田中の涙腺は再び緩んだ。