長官から「生命を大切にしなさい」と声をかけられた「特攻隊員」が素朴に感じた気持ち
大西中将がかけてくれた言葉
ただし、敵機はまだマニラ市内は狙ってこない。司令部の建物の裏には、コンクリート造り半地下の立派な防空壕がつくられ、通信機器が据えつけられたが、庁舎のなかにいればまず安全だった。 その頃、マニラで特攻編成された18歳の鈴村善一二飛曹は、たまたま司令部で待機中に空襲に遭った。鈴村が芝生の上に出て空を見上げていると、大西中将が、 「特攻隊員は大切な体だから防空壕に入りなさい」 と、退避を促した。 「生命を捨てる覚悟をしている者に生命を大切にしなさいというのは変な気がしましたが、長官の心遣いは嬉しかった」 と、鈴村は私のインタビューに述懐している。
大西に押し切られた
また、この頃の特攻隊員の様子について、毎日新聞社の海軍報道班員・新名丈夫は、 〈「敵機動部隊見ゆ」の警報に、すわやとマニラ湾の海岸から出撃しようとした一隊を、居合わせた大西、福留両長官のほか、南西方面艦隊司令長官の大川内中将までが見送りにかけつけるといったとき、「見送りはいりません。攻撃におくれます」と、指揮官は叫び続けた。思いはただ敵艦撃滅だったのだ〉 と、『あゝ航空隊 続・日本の戦歴』(毎日新聞社)に寄せた手記に記している。 11月18日、クラーク・フィールドでは3人乗りの双発新鋭陸上爆撃機・銀河による第五神風特別攻撃隊・旋風隊の命名式が行われた。銀河には800キロの大型爆弾が搭載でき、命中したときの効果は零戦の250キロ爆弾の比ではない。銀河特攻は第七六三海軍航空隊で編成され、司令は佐多直大大佐である。佐多司令は、特攻隊編成について反対意見を具申したが大西に押し切られたとも伝えられる。 大西は命名式ののちクラークに一泊し、東京の軍令部に、フィリピンへのさらなる航空兵力増派の要請をするため、11月19日、マニラから猪口先任参謀1人を帯同し、一式陸攻に搭乗して厚木基地に向かった。 大西が東京に向かうのとほぼときを同じくして、一、二航艦の連合航空部隊の司令部は、マニラからクラークの北はずれの一角にあるバンバンの丘に移った。ここは、マバラカット基地からはバンバン川を隔ててほど近い位置にある。 マニラで海軍が使う飛行場はニコルスのみだったが、北西に80キロほど離れたクラーク・フィールドと呼ばれる平原には10ヵ所の飛行場がある。ここに司令部を移すことは、かねてから予定されていたことだった。