スペシャル企画。「ピエール・エルメ・パリ」実は日本が世界第一号店?ブランド誕生25周年。“日本とピエール・エルメ”の歴史
ここ数年で、日本のスイーツ界に大きな革命を起こしている「ピエール・エルメ・パリ」。ラグジュアリーな印象から、全日本人にとって憧れのブランドでありながらも身近で、誰もが知る存在感の大きいブランドへ。そんなブランド誕生25周年を迎えた「ピエール・エルメ・パリ」。 取材も殺到し、タイトなスケジュールながら取材を受けていただいた今回。テーマを「日本とピエール・エルメ」の題目のもと日本とエルメ氏の深い関係、そして歩みとこれからのエルメ氏の展望を掘り下げていきます。
実は世界初のブティックは日本。なぜ日本での開業だったのか?
ピエール・エルメ氏はアルザスに4代続くパン職人の家庭に生まれ、弱冠14歳でフランス菓子界の父とも呼ばれる巨匠ガストン・ルノートル氏に弟子入りし、その後は「フォション(FAUCHON)」、97年には「ラデュレ(LADUREE)」の副社長として活躍し世界中で評価された。その後、自身の「ピエール・エルメ・パリ」をOPENさせたのはパリでもなくフランスでもなく、なんと日本でした。フランスにも先立ってOPENさせたその場所は、東京・千代田区のホテルニューオータニ(東京)。世界第一号店が日本にできた、その衝撃は世界に走ることに。 なぜホテルニューオータニだったのか? そのきっかけは偶然の出会い。ある時、ホテルニューオータニでピエール・エルメ氏本人がお菓子のデモンストレーションをする機会があり、それがきっかけでホテルニューオータニの創業者である大谷氏からホテル内にパティスリーを出さないかという誘いがあった。その誘いにのった大きな理由の一つは大谷社長が本当にお菓子を愛していて、パティスリーが好きだったから。ピエール・エルメ氏が信頼し、この場所を選んだといいます。
麗しのデザートの数々、アシェットデセールの先駆け
その後、「ピエール・エルメ・パリ」は日本初の旗艦店として2005年に「PIERRE HERMÉ PARIS Aoyama(ピエール・エルメ・パリ 青山)」をOPEN。その後、2016年には再リニューアルし、2階がオートパティスリー(高級菓子)の体験空間『Heaven (ヘブン)』として生まれ変わりました。 “ケーキを買う”ではなく、目の前で仕上げられる出来立てのデザートを楽しめるカウンタースタイルにリニューアル。キッチンカウンター越しにパティシエの技を見て、仕上がる瞬間をワクワクしながら楽しめる。今ではアシェットデセールとして、都内でもお店が増えていますが、その先駆けとして「ピエール・エルメ・パリ」は新たな挑戦をすることに。 いつの時代も、先を見据えて新たな挑戦をする「ピエール・エルメ・パリ」のお菓子の世界の魅力と、新たな可能性の創造はお菓子づくりだけではありません。そこには様々なジャンルとのコラボレーションを超えた「対話」がありました。