’24政治決戦(1)「ネオ55年」から自公プラスαへ
芹川 洋一
衆院総選挙は自民党の地滑り的な大敗で幕を閉じた。2012年末から続いてきた「自民一強」のターニングポイントでもある。24年政治決戦が持つ意味について、4人の筆者がリレー方式でつづる。
日本の政治が変わる。10月27日の衆院選での大敗により、自民、公明両党の連立による与党体制がくずれた。両党で公示前の議席数279から215と、過半数の233議席を大きく割り込んだ。有権者の選択は自公政権の継続に待ったをかけた。2012年からつづいてきた、自民党一強の「ネオ55年体制」がついにおわりを迎えた。24年仕様の新たな政権枠組みの模索がはじまる。
「懲罰投票」で自民党に熱いお灸
自民党が負けるべくして負けた選挙だった。たしかに「負けに不思議の負けなし」である。敗因はいうまでもなく、安倍派を中心とする派閥の政治資金パーティーをめぐる資金の不記載、いわゆる裏金の問題だ。 岸田文雄首相が退陣表明し、9人もの候補者が名乗りをあげた総裁選で、裏金批判の流れをかえ、さらに非主流だった石破茂へと表紙を新しくすることで、党の危機を乗り切ろうとした。しかし、しくじった。やはり世論はそう甘くなかった。 とくに選挙戦の終盤で明らかになった、非公認候補が代表をつとめる政党支部に2000万円を支給していた問題は、有権者の怒りの火に油をそそいだ。 自民党が選挙で大敗するときのパターンは決まっている。スキャンダルなどで柔らかい保守支持層が離れてしまい、それまで自民党に投票していた有権者が野党に投票したときだ。今回の衆院選でも読売新聞と日本テレビの出口調査によると、小選挙区で自民党は支持者の6割しか固めきれていなかった(読売新聞10月28日付朝刊)。 さかのぼればリクルート事件後の1989年の参院選と、その延長線上で92年の東京佐川急便事件により再燃した政治改革が争点になった93年の衆院選もそうだった。09年の政権交代選挙は趣が異なるが、長年の自民党政治に嫌気して「民主党に投票したい」ではなく「自民党に投票したくない」が有権者の気持ちだった(小林良彰著『政権交代』中公新書)。 共通するのは、しばしば使われることばだが、有権者が自民党にお灸をすえるということだ。比較第1党になったものの、150以上あった立憲民主党との議席差を43まで詰め寄られたこんどのお灸は、参院で多数を失った89年の参院選並みの熱さだった。「懲罰投票」である。 自民党としては党内野党の石破に振り子を振って疑似政権交代を印象づけようとしたものの、党内基盤の弱い「石破振り子」はほとんど動けないままだったことも響いた。衆院解散・総選挙の時期が端的な例で、それまでの主張を引っ込めて石破は党内の大勢に従い、すぐさま解散を断行した。有権者は元の木阿弥と受けとめた。石破政権への「将来期待投票」ではなく、旧来の自民党政権の「業績評価投票」になってしまった。