’24政治決戦(1)「ネオ55年」から自公プラスαへ
極論の広がり含め政治は不安定に
戦後政治を振りかえっても、24年は大きな節目の年になった。今日につづく政治の枠組みの原型ができたのは55年である。自由党と日本民主党の保守合同により自民党を結党、同根の新自由クラブとの連立の一時期をのぞき、それから93年まで長期単独政権を維持した。 この間は「1955年体制」と呼ばれる。名づけ親は政治学者の升味準之輔だ。1と2分の1政党制ともいわれる。自民党の勢力の半分の社会党に、公明、民社、共産の野党各党が連なるかたちの政治の枠組みがずっとつづいたためだ。93年の非自民連立の細川護熙、94年の羽田孜両政権といずれも短期間でおわり、同年には自民・社会・新党さきがけの3党連立による社会党の村山富市政権が誕生した。日本政治は連立の時代に入った。 96年の橋本龍太郎政権から自民党首班にもどり、09年には政権交代による3年3カ月の民主党政権をへて、12年の安倍晋三政権で自民党が政権に復帰した。そこから12年間、境家史郎・東京大教授が命名した自民党一強の「ネオ55年体制」が継続してきた。 それが今回の衆院選で大転換するわけだ。自公両党にどの政党がどんなかたちで政権に参加するのかしないのか、これまでの枠組みは否応なくおわる。2024年体制のはじまりである。 保守中道志向の石破自民と、中道保守の野田佳彦立民がぶつかり、ともに中道に寄った結果、そこからこぼれ落ちる層が出てきた。そこを左右の両サイドからすくいあげたかたちなのが、急進リベラルのれいわ新選組と、強硬保守といえる参政党と日本保守党だ。 れいわが9議席、参政党と保守党があわせて6議席を確保したことの意味合いは、極論が拡散する言論状況とも合わせて認識しておく必要がある。もちろん欧米ほどではないにしても、日本社会の分断・分極化を予感させる現象である。 自公プラスαと立民の両側に政党が立地する政治状況。そこまでも視野にいれて2024年の新たな政治の枠組みと、とらえておくべきかもしれない。 まちがいなくいえるのは55年体制と同じように政治の安定をもたらしてきたネオ55年体制が崩れ、日本政治はふたたび不安定な時期に入るということだ。(文中敬称略)
【Profile】
芹川 洋一 日本経済新聞社客員編集委員。1950年熊本県生まれ。東京大学法学部卒業・新聞研究所教育部修了後、76年に日本経済新聞入社。政治部長、大阪編集局長、論説委員長、論説フェローを歴任。東海大学客員教授。2019年度日本記者クラブ賞受賞。著書に『平成政権史』(18年)、『宏池会政権の軌跡』(23年)など。24年より現職。