クルド人はなぜ日本に住むようになったのか…「国を持たない最大の民族」の苦悩の歴史
■急激な西欧化に戸惑うトルコ国民 また、彼はイスラム教の政教一致の体制が後れをとった理由と考え、徹底した政教分離を進めます。イスラム教徒の女性はスカーフやヒジャブで髪を隠すのが一般的ですが、公の場で女性が髪を隠すことが禁じられるという徹底ぶりでした。 しかし、急激な西欧化が進むと、貧富の格差が広がり、イスラムへの復帰を求める国民の意識が高まります。かつてイランで起きたのと同じような状況になったのです。 トルコ共和国の建国の父ケマル・アタチュルクは、「トルコはヨーロッパになるべきだ」として西欧化を進めてきました。そのアタチュルクの理想を実現するのがEUへの加盟でした。1999年にEU加盟候補になりましたが、その後、レジェップ・タイイップ・エルドアンが進める急速なイスラム化に懸念を持つEU諸国によって、加盟交渉は進んでいません。 ■イスラム化を進めるエルドアンが実権掌握 エルドアンはイスラム政党の公正発展党を組織し、2003年の総選挙で政権を掌握すると、夜間のアルコール販売を規制したり、公の場所に妻がスカーフをかぶって登場したりするなどイスラム化を進めます。本来の国是である政教分離をなし崩しにしていきます。それが、保守的なイスラム教徒から支持され、盤石な政治基盤を作り上げるのです。 そもそもトルコ共和国は首相が政治的実権を持ち、大統領は象徴的な国家元首でした。しかし、首相になったエルドアンは、憲法を改正して大統領を政治的実権を持った存在にし、2014年、自らが大統領に就任してしまいます。 彼は、儀仗(ぎじょう)兵(儀礼や式典時などに立ち並ぶ兵士)にオスマン帝国時代の兵装を復活させるなど、かつてのオスマン帝国の栄光よ再びという野心を見せるようになります。 一方、トルコ軍はアタチュルクの教えを堅守し、政教分離の原則を守ることを任務と考えてきました。このためエルドアンが進めるイスラム化に危機感を抱いた軍の一部が、2016年にクーデターを企て、エルドアンの独裁を阻止しようとしますが、失敗。 エルドアンはクーデターに関わったとして多数の軍の幹部や公務員を逮捕し、独裁化に反対する人間を一掃。一気に独裁化に拍車をかけます。エルドアンを批判していた報道関係者も多数が獄中に放り込まれました。