サッカー元日本代表・稲本潤一が28年の現役生活で残したもの
イングランド大量移籍時代を作った先駆者
その後、稲本はウエスト・ブロミッチやカーディフに再レンタルされ、2006年にはトルコの名門・ガラタサライで再出発。ドイツのフランクフルト、フランスのスタッド・レンヌにも赴いたが、どこのクラブでも大ブレイクとはならなかった。 やはり2004年6月の大ケガが最大のターニングポイントだったと言うしかないが、彼がイングランドの複数クラブでキャリアを積み上げたことで、その後の宮市亮(横浜F・マリノス)、浅野拓磨(マジョルカ)、冨安のアーセナル入りにつながったのは間違いない。 「イングランドは日本人にとって鬼門」と言われ、海外移籍の先駆者でもある中田英寿もボルトンで失意を味わったリーグ。そこで稲本が切り開いた道を2010年代に香川真司(セレッソ大阪)、吉田麻也(LAギャラクシー)、2020年代の南野拓実(モナコ)、冨安、三笘、遠藤らが引き継ぎ、現在のような日本人複数参戦状態を作り上げていった。その功績は非常に大きい。我々は改めて稲本の足跡をリスペクトすべきだろう。 「自分はどんな選手だったかと聞かれると特徴がないなと。フィジカル、技術、メンタルといった五角形があるとしたら、それを全ての面で最大値に近くしていこうと思ってここまでやってきました」と稲本は引退会見で語ったが、日本人という範疇をはるかに超えたスケールの大きなプレーというのは、紛れもなくこの男のストロングだった。 関西人らしい陽気で気さくなキャラクター、ヤンチャな一面も含め、永遠のサッカー少年は45歳までピッチ上を駆け抜けた。本人も「やり切った」というが、こういう現役生活を送れる選手はほんの一握りだ。だからこそ、第2の人生でより多くのものをサッカー界、スポーツ界に還元しなければならない。 稲本自身は指導者になると公言したが、指導者と言ってもJリーグの指揮官を目指すのか、育成年代を手がけるのかは未知数。いずれにしても、かつて”ビッグベイビー”と言われたこの男が見る者を魅了する次世代の選手を育ててくれれば理想的。ここからの歩みを興味深く見守りたい。 取材・文/元川悦子 長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U?22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
@DIME編集部