「短ければ短いほうがいいよね」夜の神楽坂で盛り上がった女優・南沢奈央 珍しい衝動にかられ、手にした一冊は?
わたしは珍しく俳句を読みたいと思った。それで開いたのが、せきしろさん初の単独・自由律俳句集『そんな言葉があることを忘れていた』だ。 俳句といっても、いわゆる五・七・五ではない。自由律、つまり音数の定めがない。しかも“無季”ということで、季語を含む決まりもない俳句。小唄の先生が難しいとおっしゃっていたように、短い上に自由度があるというのは難しそうだ(わたし自身俳句を詠むわけではないので全くの素人考えだが)。せきしろさんはこれを20年以上、作り続けてきたという。 全4章で、320句が収録されている。「経年」「孤影」「叙景」「過古」と、章ごとに題されている言葉も良い。 先に書いたように、想像する余白や余地があるから、俳句を鑑賞するのはおもしろい。そう思っていたのだが、せきしろさんの俳句には、これまで接してきた俳句とは異なる広がりがあった。これまでの多くは、作者の意図を知ろうと想像を広げるような感覚だったのだが、せきしろさんの句は、すーっと自分のなかに入ってきて、いつかどこかで自分が見た景色と重なり、やがて自分自身の思い出を辿って深めていくような、そんな感覚だったのだ。 人が詠んだ句が、自分のことのように感じられる。ということはそれだけシンプルで、余地も残され、描かれているのは日常。「あとがき」にあるように、〈いつも目にしているもので、誰かに言うほどでもないこと、いわば言語化する必要のないもので頭の中は散らかり放題であったが、ふと言葉となって目の前に現れた〉ものたちなのだ。
やはり今、この夏の終わりに響いてきたのは、夏~秋の句だった。 〈目覚めても目覚めても夏〉 1カ月ぶりに会った姪っ子が真っ黒に日焼けしていた。幼稚園が夏休みで、近所のプールに毎日通っていたのだそう。朝からの暑さにぐったりして、できるだけ外に出ないようにしていたわたしに比べて、姪っ子は起きるたびうれしくてたまらなくて、全身で夏を楽しんだようだ。 〈まだ花火の匂いがするよと手を見せてくる〉 わたしは花火が好きなので、線香花火だけでもいいから、チャンスを見つけてしたいと思っている。それが今年はやれなかった。そして見ることもできなかった。誰か、匂いだけでもください。 〈盆踊りをやっている気配がすごい〉 気配、だ。そう、毎年夏は気配を感じるだけ。どこかから太鼓や笛の音、人々の声が楽しそうに聞こえてくることがあるが、いいなと思うだけで人混みが苦手なので近づこうとしない。盆踊りが趣味だという知人がいるのだが、彼女のインスタで参加した各地の盆踊りの写真がアップされる。気配はSNS上にも。 〈冷蔵庫の中に残る夏を食う〉 なんとなしに夏の食べ物の象徴としてスイカを連想したが、今年のわたしの夏の象徴は、食欲が落ちたときに買い溜めたゼリーだろう。冷えたゼリーならさらっと食べられるのでは、と思ったけど、わたしはもともとそんなにゼリーを好きではなかった。冷えていればいるほど、お腹を下してしまうことが多いのだ。なのに買ったゼリーは当たり前のように、冷蔵庫のなかに残っている。夏は終わる。そろそろ食べようか。 〈境内だけ秋が早く遊ぶ子はまだ半袖〉 この前行った山に、1本だけぜんぶが真っ赤に紅葉しているもみじがあった。秋を先取りしているようでもあるが、なにかから取り残されているようでもあり。それを見つけたわたしは汗だくで、すこし奇妙な感覚になった。 日常の景色。季節の移ろい。思い出のかけら――〈消える前に一句〉と残してくれた、一句一句が、すべての人のどこかの記憶にリンクするはずだ。
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