女性を大切に尊重するのではなく、むしろ檻に入れて閉じ込めてきた…女性差別を正当化してきた「伝統的な精神」
ギンズバーグ「教授」になる
当人は脚光を浴びたいとはあまり思っていなかったものの、RBGの名はしだいに世間に知られるようになっていった。「ギンズバーグはグロリア・スタイネムのような活力にも、ベティ・フリーダンのような荒々しさにも欠けている」と、ある学生評論家は評している。「彼女はたいてい髪を一つに束ねている。喋り方は平坦でたどたどしく、でも正確で明瞭だ。服装は保守的。 学生たちは仲間うちでは、彼女のことをまるで仲間の誰かのユダヤ人の伯母さんみたいに、ルーシーと呼んでいた。みんな彼女のことをたいして知らないのに、なんとなく親しみを感じている」。一方で、RBGの教え子の一人は授業評価アンケートの中で、彼女は「才気にあふれて」いて、「すばらしい教師」だけれど、「学生とは少し距離があって」「とても控えめな人」だと書いている。 九年前にRBGをラトガース大学に走らせたコロンビア大学も、一九七二年にはついに彼女の価値を認めることになった。RBGの母校でもある同校は、彼女に終身在職権をもつ初の女性教授になるチャンスを提示したのだ。RBGは、ACLUの仕事に時間を割いてよいという了解を得たうえで、その申し出を受け入れる。《ニューヨーク・タイムズ》紙に掲載された記事によれば、コロンビア大学は「大手柄を立てた。同校のロースクールは、ある女性に終身教授の職を打診し、その女性を獲得できたことに喜びを隠さない」。 なにしろロースクールの学部長が語るところによれば、「ミセス・ギンズバーグ」は同校がこれまで百十四年にわたって拒否してきた女性たちとは違って、たしかにそれだけの資質がある、と記事は伝えている(ちなみにRBGは記事が公開されたあと、記者に手紙を送ってこう書いている。「わたしが一点気になるのは、《ニューヨーク・タイムズ》紙は『ミズ(Ms.)』の使用を認めていないのかという点です」)。 記事の中で、RBGは驚くほど遠慮のないトーンでこう語っている。「わたしにとって唯一の制約は時間です。彼らの望むとおりに自分の活動を縮小するつもりはありません」。ここでいう彼らとは、他の教職員や大学事務局のことのようだ。「でも、おそらく問題は起こらないでしょう」と、彼女はしばらくして付け加えた。「たぶんみんな外面上は感じよく接してくれます。なかにはわたしの活動に不満をもつ人もいるでしょうが、表には出さないでしょう」 たしかに不満をもつ人も一部にはいた。でも、コロンビア大学の女性たちはRBGを待ちわびていた。着任するやいなや、女性たちは不満を伝えるために続々とRBGにコンタクトを取りはじめた。知っていますか? コロンビア大学では妊娠出産が保険でカバーされないんです。それに女性は給与も年金も男性より低い額しかもらえません―。そうと知ったからには、RBGは大学の女性教師や女性事務員を代表して集団訴訟を起こす手助けに立ち上がった。原告として百名が名を連ねたその訴訟は、勝訴に終わる。